「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実

前田速夫『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』

恥ずかしながら、「新しき村」が今も残っていることを最近まで知らなかった。

武者小路実篤の「新しき村」は、文化的で個人が尊重される理想の共同体を掲げ、1918年に宮崎県の山中に開かれた。共有財産・共同作業で生計を立て、余暇を学問や芸術などに使うことを目指した村は、運営が軌道に乗り始めたタイミングでダムに一部が沈むことになり、39年に埼玉県毛呂山町に移転。戦後もその取り組みは続き、今年で100周年を迎える。

近代化に抗うように、理想の共同体を作る試みは20世紀を通じて国内外で何度も試みられ、その多くが挫折してきた。ヤマギシ会やヒッピーのコミューンなど、ある集団はイデオロギーが先鋭化して自壊し、ある集団は内部に社会の縮図を生みだし、ある集団は自然消滅した。

なぜ「新しき村」が今なお新しく、細々とながらも存続し続けられたのか。小規模(最盛期で70人弱)で、拡大を第一目的としなかったことや、入村・離村に対する柔軟性など、理由は幾つかあるだろうが、著者は「個が全体に奉仕している他のあまたある共同体とは真逆」で「個を生かすために全体がある」とその特徴を記している。従来、小さな共同体の多くは、小さな全体主義社会に陥ってきた。「新しき村」は個人主義が徹底し、イデオロギーよりも個の人生に重きを置いたことで自壊を防ぐことができたのかもしれない。

しかし、その新しき村も高齢化が進み、限界集落と化して存続は困難になりつつある。村の歴史と現在が、現代社会におけるコミュニティーの可能性と課題を突きつけてくる。

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