津波の霊たち 3・11 死と生の物語

リチャード・ロイド・パリー「津波の霊たち 3・11 死と生の物語」

英「ザ・タイムズ」紙の東京支局長による被災地のルポルタージュ。6年にわたる被災地取材の記録であり、津波被害、中でも児童の多くが犠牲になった大川小の遺族の話を中心に据えつつ、共同体や死を巡る日本人の心性をも掘り下げていく。東日本大震災に関する最も優れた記録の一つであると同時に、日本人論、日本文化論としても白眉の内容。

震災後、海外のメディアは被災地の整然とした炊き出しや救助活動、復旧作業を称賛した。しかし、その自制の裏に、悲しみをも押し殺す、日本社会に深く根付いた抑圧があることに著者は気付く。一人の人間として悲しむ前に、家庭内や社会における立場で、果たすべき仕事が半ば無意識に強制された。著者は強い言葉で日本社会を告発するわけではない。それでも女性を中心とした丁寧な聞き取りを通じて、少しずつ、地域社会における同調圧力と蔓延する諦めの感覚が浮き彫りになっていく。

“がんばろう、という言葉に、私はいつも違和感を覚えた。「彼らのつらい経験も長期的には糧になる」という言外の意味によって、苦しむ人たちとの共感が逆に薄まる気がしてならなかった”

さらに津波は、人々の間に目に見えない無数の壁を生み出した。

“遺族のあいだでさえも、悲しみの色合いには差があった。その黒さの濃淡は、外の世界の人々には見分けがつかなかった。すべて、ある残酷な質問に収斂された――津波が引いたあと、どのくらい残ったのか?”

何を失わずに済んだのか、家族の何人が生き残ったのか。時間が経つにつれて、現実の差に、現実との向き合い方の差という分断も加わっていった。

2011年3月11日、被災地全体で、75人の子供が学校教師の管理下で死亡した。そのうちの74人が大川小の児童だった。学校の裏には山があった。子供たちが山への避難を訴えていたという証言もあった。

学校の責任を追及しようとする者から、地域の和を重視する者まで大川小の児童の遺族は分かれた。そこに、訴訟を起こした遺族を批判する、外部からの醜悪な言説も加わった。

著者は一人一人に丁寧に耳を傾け、震災を大きな物語ではなく、個人の体験として記録していく。

同時に著者は、霊を見た、声を聞いたという被災者の体験をも一つの事実として淡々と記録していく。日本人は信仰心が薄いとされるが、死者や霊の位置づけは西欧よりもずっと現実の生活に近い。そうした祖霊信仰や、災害列島で生きることから来る無常観といった心性への考察が挟まれ、過渡期に差し掛かった日本社会の姿を捉えた稀有な記録となっている。

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