邂逅の森

熊谷達也「邂逅の森」

誰かの人生を追体験できる小説は少ない。優れた作品であっても、大抵は一歩引いた立場からの鑑賞にとどまる。

舞台は大正から昭和にかけての東北。秋田・阿仁のマタギの家に生まれた松橋富治は、身分違いの恋で村を追われ、猟を捨て採鉱夫となる。やがて、そこで知り合った弟分の村に落ち着き、狩猟組の頭領としてマタギの生活に戻る。

マタギの文化・風習が丁寧に書き込まれており、骨太な物語と描写を通じて、マタギに生まれた男の一生を自分が生き直しているような気分になった。

以前、福島のマタギの取材を少しだけしたことがある。東北には幾つかマタギの里があり、そのほとんどが阿仁のマタギの技術を継いでいるとされる。本書はフィクションだが、江戸後期から大正にかけて、実際に富治のような男は何人もいたのだろう。

一人の男の人生を描きながら、物語を貫くのは人と自然の関係。人が自然を支配しつつある時代を生きた富治の人生を通じて、人間の人間たる所以と、自然の中で生きる獣としての側面の双方が浮き彫りになる。

著者の作品は短編集しか読んだことがなかったが、これは大傑作。全く風土の異なる紀州の話だが、明治から昭和に生きた女三代を描いた有吉佐和子の名作「紀ノ川」を思い出した。

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