世界天才紀行

エリック・ワイナー「世界天才紀行」

「その国で尊ばれるものが、洗練される」

“天才”は不規則に生まれるのではない。特定の時期に、特定の場所に相次いで現れる。

アテネ、杭州、フィレンツェ、エディンバラ、カルカッタ、ウィーン、そして、シリコンバレー。

なぜ、その土地に天才が生まれたのだろう。紀元前のアテネも、ルネサンス前夜のフィレンツェも、当時の世界一の大都市でも先進都市でもなかったし、周辺の都市にすら後れを取っていた。18世紀のエディンバラや19世紀末のカルカッタは言うまでもない。シリコンバレーなんて、田舎のほぼ何もない土地に生まれた。

それぞれの土地でなぜ天才が育ったのか。その答えを求めて著者は旅に出る。

冒頭に引用されたプラトンの言葉の通り、文化は育まれ、同じように天才も社会に育てられる。メディチ家に見いだされたミケランジェロの才能は現代では開花しなかっただろうし、スティーヴ・ジョブスが中世に生まれても、人々の生活を変えることは難しかっただろう。

前著の「世界しあわせ紀行」でもそうだったが、著者の紀行文のスタイルは独特だ。紀行の形をとりながら、心理学などの知見や歴史の先行研究を次から次へと引用し、現地の研究者と交流して思索を深めていく。その膨大な情報量は、論文や学術書の趣すらある。

旅の最後に明確な答えが出るわけではない。天才の誕生の背景には、さまざまな要素が絡み合って存在している。ただ、そこには共通する要素もある。

一つは、多様な価値観や失敗に対する寛容さであり、たとえば、どの時代、土地、分野においても、マイノリティが成し遂げた業績は人口比よりもずっと多い。これは多様性が創造性の源泉であるということと同時に、彼らが失敗を恐れる必要がない立場(社会的な周縁部)にいたことも示唆している。

また、シリコンバレーについては、Stratus Computer創業者の次の言葉を著者は引用している。「シリコンバレーで失敗しても、あなたの家族は気づかないし、周囲の人も誰も気にしない」

さらにマーク・グラノヴェッターの「弱い紐帯の強さ」に触れ、社会が“開かれている”ことの重要さを説く。グラノヴェッタ-は、人は結びつきの弱い人からの方が新しいことを学べると説いた。結びつきの弱い人は、自分とは異なる経歴や文化的背景を持っている。結びつきが強い人といるのは心地よいが、自分の世界は狭められてしまう。

「創造するためには、自分とは別のものに対して心を開く大らかさと、みずからの洞察を確固たるものにする私的な領域の両方が必要なのだ」

この著者の言葉を社会のあり方に置き換えれば、前者が多様性であり、後者は持続的な平和のことだろう。

著者のエリック・ワイナー(Eric Weiner)は、海外特派員として経験を積んだアメリカのジャーナリスト。前著に、幸せのあり方を巡る「世界しあわせ紀行」と、宗教を題材とした「Man Seeks God」(未訳)がある。

今回の旅の動機について、冒頭で自らの子への想いを綴っている。親は育ちを与えるのだと。

それは狭義の教育のことではない。プラトンの言葉をもじって言えば、「その家庭で尊ばれるものが洗練される」。娘の何を洗練させるか。この旅は、すべてそのヒントを探る旅だったのだ。

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