妻を帽子とまちがえた男

オリヴァー・サックス「妻を帽子とまちがえた男」

さまざまな神経疾患の症例を紹介した本。人の顔を顔として認識できなくなり(相貌失認)、タイトル通り妻を帽子と間違えるようになった男性を始め、短期の記憶が一切保持できず、何十年も前の時点で世界が止まっているコルサコフ症候群の男性や、「左」が視覚としても概念としても欠落した女性など。興味本位で読み始めたが、人間とは何か考えさせられる内容だった。

脳の機能が一部欠けても、それで人間であることが否定されるわけではない。人は足りなくても工夫や他の器官でそれを補う。平衡感覚が無くなった元大工が眼鏡に水準器を取り付けて生活するエピソードは感動的。

さらに、トゥレット症候群(チック)を抱えることで即興性豊かなドラマーとして活躍する男性や、サバンの人々のエピソードなどは、それらが「欠損」や「障害」ではなく、世界との向き合い方が多数派と異なるだけではないかということを思わせる。それを多数派のスタイルに矯正しようとすることが果たして正しいのか。

短気、鈍感、内気といった特質は「個性」と言われるが、度が過ぎれば社会生活に支障がある点では変わらない。それでも支障が無いよう、人は工夫し、折り合いをつけながら社会生活を送る。それと何が違うのか。「障害」だってそれと同じことではないのか。以前読んだ本に、認知症の人と向き合うには周囲の人や環境が「認知の補装具」を提供することが大事とあったことを思い出した。病気や障害に限らず、人と人は足りないものを互いに補いあい、自らの欠損と折り合いをつけながら生きている。

コメントを残す