Bolivia – Sucre, Potosi

2005.8.31-9.3
Sucre~Potosi

スクレは、スペインからの独立の舞台となった場所で、ボリビアの憲法上の首都。独立の舞台と言ったら、普通、国の誇るべき重要な場所だが、ここボリビアに関してはそう簡単にはいえない。独立が宣言された場所である「自由の家」とそこの展示を見ていて、色々と複雑な思いにかられてしまった。

1825年のスペイン支配からの独立、1952年の流血革命、そうしたものにも拘わらず、ボリビアの問題の本質的な構造は何も変わっていない。むしろ、そうした「転換」が、問題をより複雑にしている様に思う。独立とその後の国境線の変遷は、この大陸の本来の住民であるインディヘナから見れば全くの無意味だし、むしろ国境線による不当な分断と言える。52年の革命により、表面上は独立資本による搾取は無くなったかもしれない。しかし、裕福な少数者(アメリカ式の教育を受け、アメリカ式の生活を送る人々)と、貧しいインディヘナという構造は何も変わっていない。

スクレの次は、ポトシを訪れた。かつては銀の採掘に沸き、ラテンアメリカで最も豊かな都市だったポトシだが、銀の生産が細くなった今では、小さく寂れた一地方都市である。植民地時代、ポトシで作られた大量の銀貨は、ヨーロッパに巨大なインフレを巻き起こした。しかし現在、ボリビアの貨幣はヨーロッパで作られている。皮肉なものだと思う。

ポトシの鉱山では、今も多くの労働者たちが働いている。彼らの殆どはインディヘナである。仕事場は危険が多く、鉱山の中の気温は凍りつくような寒さのところから、50度近い蒸し風呂まで様々という。そんな中で、一日八時間、時代遅れの道具を使い手作業で仕事をする。苦痛と空腹を和らげてくれると言うコカの葉を口いっぱいに詰めながら。有害な粉塵に晒され続ける彼ら労働者の寿命は驚くほど短い。鉱山に入ってから10年足らずで死ぬことも普通だと言う。

1952年の革命で、彼らインディヘナ労働者は大きな役割を果たした。そしてその流血革命後、新政府は鉱山を国有化した。しかし一体何が変わったというのだろう?

 

South America & NY…2005.8.11~9.19
 -New York
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 -Bolivia (LaPaz)
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