堀川惠子「戦禍に生きた演劇人たち 演出家・八田元夫と『桜隊』の悲劇」
広島で被爆し、全滅した劇団「桜隊」は、井上ひさしの「紙屋町さくらホテル」や新藤兼人監督の映画で取り上げられてきたが、いずれも原爆の悲劇としての側面が強く、なぜ彼らが広島にいたのか、その背景にある戦前・戦中の苛烈な思想統制、演劇人への弾圧については資料の不足からあまり描かれてこなかった。
著者は、桜隊の演出を手がけていた八田元夫の膨大なメモや未発表原稿を発掘し、彼の生涯を縦軸に、戦前から戦後に至る表現者たちの受難の歴史を現代によみがえらせた。
大正は新劇をはじめとする様々な大衆文化が花開いた時代だったが、治安維持法の制定を経て、昭和に入ると社会は徐々に変質していく。執拗な検閲と逮捕、拷問。劇団は解散させられ、演劇を続けるには国策で地方を巡演する移動劇団に参加するしかなくなった。
新劇運動の拠点、築地小劇場の流れをくむ苦楽座も1945年、桜隊と改称して中国地方の慰問公演を受け持つようになる。八田は原爆投下の当日、病に倒れた劇団員の代役を探して上京しており、数日の差で難を逃れる。広島に戻った八田は爆心地で即死した劇団員の骨を拾い、放射線障害に苦しみながら亡くなっていく仲間たちの姿を目の当たりにする。
さらに戦後、八田は戦争責任の問題に直面する。演劇界で戦犯リストが作られることは無かったが、移動劇団で国策演劇の演出に携わったことは将来彼を苦しめ続けた。演劇の灯を絶やさないためには国に従うしかなかった。いっそ、演劇を、表現を捨てるべきだったのか――。
当たり前の「表現の自由」が、どれだけかけがえのないものか。演劇にとどまらず、文化芸術や表現行為に少しでも興味があるなら必読といってもよい一冊。