美しい顔

北条裕子「美しい顔」(群像2018年6月号)

震災で母を亡くした少女が、日常に戻ることを拒絶するかのようにカメラの前で“被災者”を演じる。芥川賞候補として発表された後、複数の無断引用箇所が指摘されたが、盗作か参考かという議論に個人的にはそれほど関心が無く、この作品を読んで一番に感じたことは、こうしたフィクションが書かれるようになるだけの時間があの日から経過したんだなぁということ。
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生家へ

色川武大「生家へ」

阿佐田哲也名義の作品には家族の話はあまり出てこないが、色川武大の小説では生家と父親のことが繰り返し語られる。無頼派として知られる作家だが、その根底には孤独と劣等感とともに、自身のルーツに対する深い愛惜がある。

「生家へ」は回想に幻想が混じり合った連作短編。77~79年にかけて発表され、幼い頃に級友たちになじめなかったコンプレックスと、屈託を抱えた高齢の父親との愛憎入り交じった関係がさまざまに角度を変えて綴られる。
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ここは退屈迎えに来て

山内マリコ「ここは退屈迎えに来て」

郊外の国道沿いにチェーンのレストランや衣料品店が並ぶ無個性な地方都市。そんな街に暮らすことの“退屈”を主題とした短編集。主人公のほとんどは10~20代の女性で、都会に出て行くことに憧れているか、かつて暮らした都会に心を残してきている。

地方都市の描き方がステレオタイプすぎる気はするものの、そのステレオタイプがあながち間違いでもないのがまさに地方の閉塞感であり、地方から都会に出て暮らしている人間として、個人的に共感する部分も多かった。
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夜を賭けて

梁石日「夜を賭けて」

青々と茂った木々の間を、家族連れや観光客、ジョギングで汗を流す男女が行き交う。広大な敷地が緑に覆われ、穏やかな空気の流れる大阪城公園だが、1960年代までそこには見渡す限りの焼け跡が広がっていた。

梁石日の「夜を賭けて」は、その焼け跡を舞台とした青春小説。アパッチ族と大村収容所という忘れられた歴史事実に光を当て、時代に翻弄され続けた在日コリアンの戦後史を描き出している。
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ソングライン

ブルース・チャトウィン「ソングライン」

オーストラリアの先住民アボリジナルは、広大な大地の上にソングラインと呼ばれる独自の道を持つという。木や岩、泉、大地の上に存在する無数のもの。それらを歌を通じて記憶し、伝え、旅をする。それは道というよりも地図であり、世界そのものの点描と言えるかもしれない。

夭逝した英国の作家、ブルース・チャトウィンは、自身も旅を繰り返し、人はなぜ旅するのかということを問い続けた。代表作の一つ「ソングライン」は紀行文のスタイルを取りながら、そこに創作や、思索のメモが膨大に折り込まれ、旅を巡る終わりなき考察に読者を誘う。
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