日本文学には古くから私小説(あるいは随筆文学)と紀行文の伝統がある。西洋人として初の日本文学の作家としてデビューした著者は、その二つの伝統を受け継いだ作品をものしてきた。
本書には、チベット高原への旅を下敷きとした短編4作が収められている。主人公の「かれ」は米国から日本に移り住んだ作家で、故国に残した母の死の記憶を抱えて、高原への旅を重ねる。天葬(鳥葬)をはじめとするチベット仏教の死生観や世界観を前にした「かれ」の胸には、「大陸のことば」と「島国のことば」が混ざりあった「不在(死)が分からない」という思いがくり返し去来する。
著者は台湾と香港で少年時代を過ごし、思春期に日本語に魅了され、万葉集の研究者をへて創作活動を始めた。蔵文(チベット語)との出合いが、母語の英語や、慣れ親しんだ日本語での思考を相対化していくさまは、デビュー作「星条旗の聞こえない部屋」(1987年)での、主人公の家出少年ベンの姿を想起させる。
日本文学の伝統を受け継ぎ、「日本語文学」の地平を広げてきた作家の、原点と到達点、その二つを感じさせる傑作。