花柳界の記憶 芸者論

岩下尚史「花柳界の記憶 芸者論」

芸者。日本文化のアイコンの一つとされながら、その実態はよく知られていない。遊女と混同されることもあるが、吉原などの廓において職掌は明確に分けられ、芸者の売色は固く禁じられてきた。新橋演舞場に勤め、東都の名妓に長年接してきた著者による本書は、古代の巫女にまで遡って芸者と遊女の本質を探る優れた日本文化論となっている。
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とんでも春画 妖怪・幽霊・けものたち

鈴木堅弘「とんでも春画 妖怪・幽霊・けものたち」

江戸時代、春画は決して異端の芸術ではなく、大衆的な広がりを持った文化だった。2015、16年に東京・京都で春画展が開かれ、春画に対する注目が高まったが、メディアで紹介される春画は“常識的”なものが多い。しかし、性的なタブーの少なかった近世以前の日本において、人々の想像力が現代の常識の枠内に収まっているはずがない。少しでも目立とうとする芸術家と版元の世界においては言うまでもなく、葛飾北斎には有名な「蛸と海女」があるし、男色、獣姦、幽霊・妖怪との交わりなど、ありとあらゆる営みが春画には描かれている。

本書はそうした多彩な春画約130点を掲載。表紙の骸骨は歌川国芳(股間の骨に注目)。
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世界の名前

岩波書店辞典編集部編「世界の名前」

世界各地の名前に関する100のコラム。洋の東西を問わず、古代から現代まで。それぞれの地域の研究者が執筆しており、これだけバリエーションに富んだ専門家の原稿をそろえられるのは、さすが岩波。
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江戸の性風俗

氏家幹人「江戸の性風俗」

日本社会の性に対する態度はいつから今のようになったのだろうか。常識というのは意外なほど歴史が浅い。著者は、川路聖謨の日記を読み解き、武家で開けっぴろげに下ネタが語られていたことを明らかにする。さらに「肌を合わせる」という言葉がかつては第一義的に精神的な信頼関係を意味し、決して現在のように肉体関係のみを表すのではなかったことを指摘する。当時は肌の接触と心の結びつきは不可分の関係にあった。プラトニック・ラブは現代の文化なのだ。
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不義密通 ―禁じられた恋の江戸

氏家幹人「不義密通 ―禁じられた恋の江戸」

古典を理解する上で、江戸時代の貞操観念の理解が欠かせないと思い、手に取った一冊。
(実際には、上記の真面目な理由と、下世話な関心が半々)

不義密通の事例を各藩の史料から次々と引用していくばかりで、それほど厚い本でもないのにお腹いっぱい。人の世は今も昔も変わらないんだな、という印象。ただ体面は現代とは比べ物にならないほど気にされたようで、寝取られた側にも課される厳しい処分や、妻敵討の事例はなかなか興味深い。もう少し社会学、歴史学的な考察があれば。

売笑三千年史

中山太郎「売笑三千年史」

神代から明治まで、売笑の歴史を総覧する大著。

膨大な史料を引用し、宗教的行為としての売色から始まり、巫女から巫娼へ、そして遊行婦、浮かれ女、白拍子、娼妓、芸妓……とその変遷を辿っていく。ただの性産業の歴史ではなく、婚姻形態の移り変わりや、武士の台頭など社会の変化を映し出していて興味深い。
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盆踊り 乱交の民俗学

下川耿史「盆踊り 乱交の民俗学」

副題にあるように盆踊りの発生を巡る考察を通じて乱交の歴史を紐解く。歌垣や雑魚寝という性の場と、芸能の起源としての風流(ふりゅう、現代の「風流」ではなく、侘び寂びに対峙する奇抜な美意識)、それらはやがて村落共同体で盆踊りへと洗練されていく。しかし、明治に入ると盆踊りは禁止され、同時に性の世界は日常生活の表舞台から消えてしまった。
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冠婚葬祭のひみつ

斎藤美奈子「冠婚葬祭のひみつ」

冠婚葬祭が現在の形になった歴史を取り上げた第1章が面白い。いかにも伝統っぽい神前式も、大正天皇の御婚儀を経て神社が結婚ビジネスに参入したことに始まる。葬儀も現在の告別式のルーツは中江兆民。どちらもせいぜい100年の歴史しかない。

桃と端午の節句が下火になる一方、宮参り、お食い初め、一升餅などのイベントの実施率は最近の方が高いというのも面白い。住宅事情や経済状況で、行いやすいイベントへと「伝統行事」は移っていく。
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民藝とは何か

柳宗悦「民藝とは何か」

本当の美は日用品の中にこそ宿る。昭和初期に民藝運動を提唱した柳宗悦。歯切れが良く、読んでいて気持ちが良い。

「なぜ特別な品物よりかえって普通の品物にかくも豊かな美が現れてくるか」 「前者の有想よりも後者の無想が、より清い境地にあるからです。意識よりも無心が、さらに深いものを含むからです。主我の念よりも忘我の方が、より深い基礎となるからです。在銘よりも無銘の方が、より安らかな境地にあるからです。作為よりも必然が、一層厚く美を保証するからです。個性よりも伝統が、より大きな根底と云えるからです。人知は賢くとも、より賢い叡智が自然に潜むからです」
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