江戸の性風俗

氏家幹人「江戸の性風俗」

日本社会の性に対する態度はいつから今のようになったのだろうか。常識というのは意外なほど歴史が浅い。著者は、川路聖謨の日記を読み解き、武家で開けっぴろげに下ネタが語られていたことを明らかにする。さらに「肌を合わせる」という言葉がかつては第一義的に精神的な信頼関係を意味し、決して現在のように肉体関係のみを表すのではなかったことを指摘する。当時は肌の接触と心の結びつきは不可分の関係にあった。プラトニック・ラブは現代の文化なのだ。

ほかにも、春画の用途(自慰から魔除けまで)や、汚れた下着を焼いて飲むと薬効があるといった俗信など、性にまつわる江戸の風俗を近代と比較しつつ紹介していく。

衆道(男色)が江戸後期には廃れていて、本場薩摩の志士の影響で明治後期に再びブーム(少年時代の谷崎潤一郎も危うい目に遭ったとか)になったなど、知らないことも多かった。

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