小説の自由

保坂和志「小説の自由」

小説をどう書くか、小説をどう読むか、そもそも小説とは何か、という問いを巡る文章は古今東西繰り返し綴られてきた。著者の小説を読んだことがあれば、そもそも論旨明快な小説論を期待して本書を手に取ることはないだろうが、完成された評論というより思考の記録といったほうが近い。つまり、ひと言ではまとめられない。
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ニール・ヤング回想 Special Deluxe : A Memoir of Life & Cars

「ニール・ヤング回想」

旧車マニアであるニール・ヤングが車との関わりを軸に半生を振り返った回想記。原題は「Special Deluxe:A Memoir of Life & Cars」。

ロックのレジェンド、我が道を行くという点ではディランと双璧ともいえるニールの半生は、それだけでも興味深い。ただ、自伝や伝記は既にあるし、内容はそちらの方が細かい。×年型○○と車の名前が次々と出てくるからアメ車ファンにはたまらない内容だろうが、自分にはその方面の知識も車への関心も全く無い。さらに、学術書のような値段(4800円)が、手に取るのをためらわせていた。

しかし、いざ読み始めてみると、これがめちゃくちゃ面白い(自分がニール・ヤングの熱狂的なファンであるということを差し引いても)。
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ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

英国の公立学校に通う息子との日々をつづったエッセイ。

著者は英国の“最底辺保育所”で働いた経験を持つライター。イエローでホワイトでもある息子は、落ち着いたカトリックの小学校に通っていたが、あえてさまざまな社会階層の子が集まる“元底辺中学校”への進学を選ぶ。その学校生活を通じて、英国社会のさまざまな問題が浮き彫りになる。同時に、教育のおいて本当に必要なことは何かを考えさせられる。
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辺境メシ ヤバそうだから食べてみた

高野秀行「辺境メシ ヤバそうだから食べてみた」

食に関する名著はいろいろあるが、そこに並ぶ(と同時に異彩を放つ)一冊と言ってもいいだろう。

ゴリラにムカデ、タランチュラと、食材もさまざまなら、ヤギの胃液のスープや、豚の生き血の和え物、ヒキガエルをミキサーにかけたジュースなど調理法も多種多様。何をどう食べるかには人間の叡智、というのは大げさかもしれないが、人間の積み重ねてきた歴史が詰まっている。登場する料理の珍しさに目が行くが、食感や風味など、丁寧かつ的確(か確かめようがないけど)な表現で、なんとなく食べた気にさせる筆力がみごと。
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図書室

岸政彦「図書室」

著者の書く文章には、温かな諦念というようなまなざしが常に感じられる。諦念というとネガティブに聞こえるが、それは自分や他者の人生に対する肯定と一体となっている。

表題作は、五十歳の「私」が、幼い頃に通った公民館の図書室で出会った少年との思い出を振り返る。小学生の二人が交わす大阪弁の会話がほほ笑ましい。人類が滅亡した後にどうすれば生き残れるか。切なく、おかしく、どこか温かい記憶。
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旅人 ある物理学者の回想

湯川秀樹「旅人 ある物理学者の回想」

日本人として初めてノーベル賞を受賞した物理学者の、少年期から青年期までを綴った自伝。

内向的で、兄弟の中でも目立つ存在ではなかった少年が、どんな青春時代を過ごし、学問に目覚めていったのか。

文学少年だった著者は、数学や哲学などの学問に触れながら、次第に物理学への興味を深めていく。「旅人」とタイトルにあるように、時代の空気、人や本との出会い、さまざまな偶然が人を予想も付かなかった場所に運んでいく。
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紀州 木の国・根の国物語

中上健次「紀州 木の国・根の国物語」

「紀伊半島は海と山と川の三つの自然がまじりあったところである。平野はほとんどない。駅一つへだてるとその自然のまじり具合がことなり、言葉が違い、人の性格は違ってくる」

「海からの潮風が間断なく吹きつけるこの枯木灘沿岸で、作物のほとんどは育たない。木は枯れる。(中略)潮風を受けて崖に立っていると、自分が葉を落とし枝が歪み、幹の曲がった樹木のような気がしてくる」
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京都のおねだん

大野裕之「京都のおねだん」

本来、モノやサービスの値段は、売り手と買い手との関係性や、その時々の状況などさまざまな要因で決まる。言い換えれば、値段はそこに多様な情報を含んでいる。

近代化と共に値段の付け方は均質化され、一律に提示することが難しい“よく分からない値段”が敬遠されるようになってきたが、京都にはまだ一部にそうした“おねだん”が残っている。チャプリンの研究者である著者は、京都に住んで20年あまりの「京都人見習い」。ゲーム感覚で京都という多様な顔を持つ社会に分け入っていく。
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