夏の砦

辻邦生「夏の砦」

辻邦生の初期の長編。中世のタピスリに惹かれ、北欧で染織工芸を学ぶ支倉冬子の魂の遍歴を、彼女が失踪する前に残した膨大な手記と手紙から浮かび上がらせる。

知人男性の視点を通して一筋の物語になってはいるが、おそらくこの小説は、どこか一部分を切り出しても成立するだろう。著者自身の死生観や芸術論が、作品の隅々にまで刻み込まれている。
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とんでも春画 妖怪・幽霊・けものたち

鈴木堅弘「とんでも春画 妖怪・幽霊・けものたち」

江戸時代、春画は決して異端の芸術ではなく、大衆的な広がりを持った文化だった。2015、16年に東京・京都で春画展が開かれ、春画に対する注目が高まったが、メディアで紹介される春画は“常識的”なものが多い。しかし、性的なタブーの少なかった近世以前の日本において、人々の想像力が現代の常識の枠内に収まっているはずがない。少しでも目立とうとする芸術家と版元の世界においては言うまでもなく、葛飾北斎には有名な「蛸と海女」があるし、男色、獣姦、幽霊・妖怪との交わりなど、ありとあらゆる営みが春画には描かれている。

本書はそうした多彩な春画約130点を掲載。表紙の骸骨は歌川国芳(股間の骨に注目)。
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目の見えない人は世界をどう見ているのか

伊藤亜紗「目の見えない人は世界をどう見ているのか」

“見る”ということから考える身体論。

全盲という状態を、見えている状態を基準に「視覚情報の欠如」として捉えるのではなく、「視覚抜きで成立している身体」として考える。情報が少ないぶん自由であるという視点は目からうろこ。
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バレエ入門

三浦雅士「バレエ入門」

バレエ入門といっても、技術的な話ではなく、その歴史と思想についての本。イタリアで生まれ、フランスで育ち、ロシアで成人したというバレエの歴史から、ピナ・バウシュや勅使川原三郎といった現代のダンサーまで。舞踊は、文字や絵、楽譜として作品が残らないため語られることが少ないが、コスモロジーを表現しようとする最も根源的な人の営みと言える。バレエを通じて、ロマネスク、ゴシック、バロック、ロココといった時代の、音楽や建築、絵画、文学など西洋芸術史全般の理解が深まる一冊。

楽園のカンヴァス

原田マハ「楽園のカンヴァス」

アンリ・ルソーの絵画の真贋鑑定を巡る美術ミステリー。同時にルソーの評伝でもあり、二十世紀初頭の美術界を描いた人間ドラマでもあり、ルソーと現代のキュレーターの二重のラブストーリーでもある。大胆な虚構の痛快さと、現実に通じる知的興奮を兼ね備えたエンタメ作品。期待以上の面白さ。

彫刻と戦争の近代

平瀬礼太「彫刻と戦争の近代」

戦時の彫刻作品について美術史で語られることはほとんどないが、実際には彫塑関係の展覧会は活況を示していたという。芸術家の戦争協力というだけの論なら新しくはないが、美術品や公共のシンボルなど位置づけがあいまいな彫刻からの視点はなかなか新鮮。
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日本の舞踊

渡辺保「日本の舞踊」

舞踊という最も言葉で表現しにくい芸能をいかに語るか。

著者は「身体の声」という言葉を使う。これだけでは色々な文脈で使われる表現のため、多様に理解できてしまうが、その声とは何かを、井上八千代や友枝喜久夫ら名人の芸を比較して丁寧に説明する。
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舞台の奥の日本 ―日本人の美意識

河竹登志夫「舞台の奥の日本 ―日本人の美意識」

舞台芸術を通じた日本文化論。

日本の舞台は「再現」では無く「示現」の芸術であり、劇的葛藤より、葛藤後の道行などを最大の見せ場とすることに象徴されるように、情感こそ全てに優先される。見得など絵面が重視され、殺人のシーンさえ、それでひとつの見せ物として完成させてしまう唯美的な芸能とも言える。
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陰翳礼讃

谷崎潤一郎「陰翳礼讃」

重々しい題から高尚な芸術論かと思われがちだが、基本的には偏屈文士の愚痴エッセイ。

西洋的なもの対する捉え方が結構偏見に満ちていて面白い。西洋人が清潔すぎると言って、「あの白い汚れ目のない歯列を見ると、何んとなく西洋便所のタイル張りの床を想い出すのである」。
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