ブルーシート

飴屋法水「ブルーシート」

現代美術の領域でも活躍してきた飴屋法水の作・演出で、2013年に福島県の高校生によって上演された作品。多くの死と日常の消失を目の当たりにした高校生の“もがき”のようなものが、抽象的な断片の積み重ねと瑞々しい言葉で綴られている。第58回岸田國士戯曲賞受賞作。
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魂でもいいから、そばにいて ―3・11後の霊体験を聞く

奥野修司「魂でもいいから、そばにいて―3・11後の霊体験を聞く」

「霊体験」と聞くとオカルトか特別な現象のようだが、ここに記録されているのは、人が大切な誰かを失った時にそれをどう受け入れて生きていくかという、紛れもない現実だ。
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想像ラジオ

いとうせいこう「想像ラジオ」

「想像」という電波に乗せて死者が語るラジオ。

震災が題材というだけで懐疑的な気持ちで読み始めたが、読んでみて真摯な作品という印象を受けた。震災と言うよりは、身近な死者との向き合い方、そして身近でない死者への想像力の働かせ方。文体は軽妙でユニークだけど、どストレートな作品。あれほどの出来事を今フィクションで書く必要があるのかという問いからは逃れられないが、著者は自分がフィクションを書くことでしか関われないと自覚した上で果敢に試みている。

死者の声を想うことは、生者の独り善がりかもしれない。それでも、想像力を働かせることは絶対に必要だ。気のせいだとしても、その微かな声に耳を澄ませたい。

ボラード病

吉村萬壱「ボラード病」

直接には描かれていないが、震災と原発事故を強く意識した小説。“素晴らしいふるさと”への同調圧力、集団意識の恐ろしさや、「絆」を声高に語ることのの醜悪さというテーマや問題意識には強く共感するけど、正直、このテーマは寓話として書くには適していないのではないか。現実の居心地の悪さの方が、ずっと複雑で、ずっと暗い。震災の前後、福島で暮らしていた自分には素直に物語に入ることができなかった。

震災や原発事故を下敷きとした作品を、演劇でも小説でも目にするようになってきたが、今のところフィクションで描く意味があると感じられたものは見つからない。自分が冷静に読めないだけかもしれないが、現実の方が厄介すぎて、フィクションの想像力がかえって単純化の罠に陥ってしまっているように思う。

プロメテウスの罠3

「プロメテウスの罠3 福島原発事故、新たなる真実」

シリーズ3冊目。内容は少しずつ地味になってきたけど、病院や高齢者などの避難のリスク、除染、がれきの処理など、かえって大切なテーマが増えた。

原発爆発後に町民にヨウ素剤を配った三春町については、これまで称賛も含めて表面的な扱いにとどまっていたが、大熊町から避難してきた専門知識のある職員がいて、風向きも見て判断した経緯が明らかにされている。

また、除染でもがれきの広域処理でも電通に巨額の広告代が流れていること、東洋町が最終処分場の調査受け入れ表明をした際に、裏で山師のような人物が動いていたことなどもとても興味深い。

原発のコスト ‐エネルギー転換への視点

大島堅一「原発のコスト ‐エネルギー転換への視点」

原発のコストは、電力会社にとっては確かに安い。それはコストとリスクを未来へ先送りすることと、発電に直接関わる費用以外を、電源三法交付金などで国の負担とすることで、経営の外側に追いやっているからだろう。事故に伴う賠償コストを除いたとしても、本来なら使用済み核燃料などのバックエンドコストや高速増殖炉などに費やされる関連コストは考慮に入れないといけない。

もちろん原発を無くしても、これらの関連コストはすぐに解消されず、短期的には化石燃料の焚き増しや自然エネルギーの開発コストも含めて非常に高くつくことになる。ただ原発が安いという欺瞞のもとに政策を進めていくのではなく、本来のコストとリスクを見極めて判断していく必要がある。

夢よりも深い覚醒へ ―3・11後の哲学

大澤真幸「夢よりも深い覚醒へ ―3・11後の哲学」

リスク社会では中庸は最も無意味な選択肢になり、人は「リスクの致命的な大きさ」より、「リスクは事実上起きない」に傾いてしまう。命と経済性の天秤――倫理的に答えは明らかだが、その命が、想像の及ばない不確定な未来の命になった時、それは答えの無い“ソフィーの選択”になる。

原発事故を総括し、脱原発への思想を立ち上げようという試み。
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プロメテウスの罠2

朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠2」

良くも悪くもドキュメンタリー的で物足りない部分もあった1巻より、再処理の問題や気象庁の津波予測のミスなど、新聞らしい調査報道が増えた。英仏を通じた核燃料再処理も総括原価方式のような仕組みでコストが肥大化し、関係会社の間で環流して電気代に上乗せされている。下北半島の開発史も興味深い。福島の浜通りも同じ構図だけど、夢が先行した開発はやがて行き詰まり、歪んでしまう。