第一部「1961年:夜に昇る太陽」、第二部「1986年:メビウスの輪」、第三部「2011年:語られたがる言葉たち」の三部からなる戯曲。戦後、福島の歩んだ半世紀が、ある家族の物語に重ねて描かれる。
物語の主軸となるのが、岩本忠夫・元双葉町長をモデルとした忠という人物。岩本元町長は社会党出身の反原発活動家から、熱心な原発推進派に転向し、5期20年にわたって町長を務めた。原発の危険性に警鐘を鳴らしていた人物が原子力ムラの論理に絡め取られていく姿を描く第二部は生々しい。
出稼ぎをしなくては生活の成り立たない寒村に工業地帯の夢がふってわく。誘致を決断したものの、原発で作られる電力は全て東京に送られ、一方で原発で肥大化した財政は硬直化し、補助金と原発の増設でしか回らなくなる。原発(に限ったことではないが)による町の変化は後戻りできない。
丁寧に取材し、福島の歴史から原発事故後の苦悩までがよくまとまっている。というと控えめな表現だが、小説でも演劇でも、原発事故を扱った、あるいは着想した作品で、こうした感想を持てたものは極めて少ない(最悪なのは傍目から見て戯画的に描いたり、思いつき程度のモチーフとして取り込んだりしたフィクションや、見たいものだけを見ているという姿勢に無自覚なノンフィクション)。演劇らしい構成、演出上の工夫はあるものの、非常にオーソドックスなスタイルの戯曲で、遊ばず、表現のための表現を優先せず、真摯に福島の今に寄り添おうとしている。
原発事故後を描く第三部は、福島県民同士の分断が生まれた状況を見つめ、その上で、そこで語られるのを待つ言葉に耳を澄ませようとしている。
東日本大震災の死者行方不明者2万人超、その家族や友人数十万人、原発事故による長期避難者十数万人、その関連死は認定されていないものも含めれば数千人に上るはず。その一人一人に言葉がある。それはこれから数十年にわたって少しずつ、大半は小さな声で、語られていくだろう。語られないままの言葉もあるかもしれない。その言葉とどう向き合うか、震災と原発事故後を生きる全ての人が問われている。