美しい顔

北条裕子「美しい顔」(群像2018年6月号)

震災で母を亡くした少女が、日常に戻ることを拒絶するかのようにカメラの前で“被災者”を演じる。芥川賞候補として発表された後、複数の無断引用箇所が指摘されたが、盗作か参考かという議論に個人的にはそれほど関心が無く、この作品を読んで一番に感じたことは、こうしたフィクションが書かれるようになるだけの時間があの日から経過したんだなぁということ。

当事者の内面を第三者が創作する。震災直後ではこうした作品は書けなかっただろうし、受け入れられなかったとも思う。何より、震災をここまで饒舌には語れなかった。7年経って、震災は、昭和の戦争のように距離をおいて眺めることができる、あるいは距離のある人間にも書ける題材になったのだ。こうして人は前に進んでいくと思うので、決して悪いことではないが、当時被災地の住人だった身としてはさまざまな思いが去来した。

震災に関する本で、ノンフィクションで良い仕事と思ったものは何冊もあるけれど、フィクションではほとんどない。大きな理由は、想像力が現実の複雑さに負けてしまっているからで、フィクションのほうが単純化や偏った視点に陥ってしまっているように感じる。その点ではこの作品も変わらない。ただ、現実に負けるとしても想像し、創作することには意味があるとも思う。

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