阿佐田哲也名義の作品には家族の話はあまり出てこないが、色川武大の小説では生家と父親のことが繰り返し語られる。無頼派として知られる作家だが、その根底には孤独と劣等感とともに、自身のルーツに対する深い愛惜がある。
「生家へ」は回想に幻想が混じり合った連作短編。77~79年にかけて発表され、幼い頃に級友たちになじめなかったコンプレックスと、屈託を抱えた高齢の父親との愛憎入り交じった関係がさまざまに角度を変えて綴られる。
父親は元軍人で、色川が物心つく頃には恩給生活に入り、自宅で何をするでもなく、妻や息子の行動に目を光らせていた。併録の「黒い布」は、色川の他の多くの作品とは違い、父親の視点から書かれている。彼は老いの中で、自らのコントロールから外れていく息子との関係で焦り、苛立ち、意固地になっていく。
あとがきで中央公論新人賞をとった事実上の処女作(1961年発表)と書かれていて驚いた。阿佐田哲也として売れる前から終生このテーマを書き続けていたのだ。