ブルーシート

飴屋法水「ブルーシート」

現代美術の領域でも活躍してきた飴屋法水の作・演出で、2013年に福島県の高校生によって上演された作品。多くの死と日常の消失を目の当たりにした高校生の“もがき”のようなものが、抽象的な断片の積み重ねと瑞々しい言葉で綴られている。第58回岸田國士戯曲賞受賞作。

「人は、見たものを、覚えていることが、できると思う。人は、見たものを、忘れることが、できると思う」

直接震災や原発事故について語る場面はほとんどないが、高校生たちの会話の背後には、自明だった死と生の境界や、当たり前の日常が崩壊した事実が横たわっている。劇中で繰り返される台詞は、不条理な世界への諦観を含みつつも、生きることへの力強いメッセージとなっている。

岸田賞の選評では、野田秀樹が「まったく無駄のない、そして演劇にしかできない方法でつくられている作品、すなわち美しい作品である」と絶賛する一方、岡田利規は、未来における優れた上演を生み出す「戯曲」というより「スペシフィックな上演のドキュメント」と指摘。「ある演劇がすぐれているということがその上演に用いられたテキストからでもじゅうぶんに見て取れる、と感じることと、そのテキストに対してすぐれた戯曲であるという評価を与えることとは、別であっていい。あるべきだ」と記している。

確かにこのテキストは、再現可能な台本というよりは、1回きりの奇跡的な舞台のドキュメントと評する方が適切なものかもしれない。それでもここに書かれた言葉は胸を打つし、戯曲として出版され、多くの人の目に触れる価値のあるものだと思う。

震災を扱った作品の多くは、現実を頭で捉えようとしすぎるあまり、フィクションであることの意味が感じられなくなっているものが多い。選考委員の一人、宮沢章夫は、いとうせいこうの小説「想像ラジオ」を挙げ、「小説でしか描けない方法で『死』を表現しようとした意志がある。悼みと鎮魂の意志があった」と評価している。この戯曲もまた、演劇にしかできない方法で「死」を見つめ、社会を癒そうとする意志を強く感じさせる。

併録の「教室」は2013年に大阪のTACT/FESTで上演された作品。こちらも表面上は軽やかだが、ずしりと重い手触り。

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