奥野修司「魂でもいいから、そばにいて―3・11後の霊体験を聞く」
「霊体験」と聞くとオカルトか特別な現象のようだが、ここに記録されているのは、人が大切な誰かを失った時にそれをどう受け入れて生きていくかという、紛れもない現実だ。
亡くなった妻や子供が夢に出てきたり、足音が聞こえたり、子供のおもちゃが突然動き出したのを見た人もいれば、遺体が見つかる直前に“お知らせ”があったという人もいる。死者の口寄せをするオガミサマに救われた人もいる。
こうした体験を、心理学や生理学で説明しても意味はないだろう。著者は東北の沿岸部に通い、一人に最低三度は会うというルールを決めて、人々の語りに耳を澄ませる。それまで、頭がおかしくなったと思われるのが怖くて口を閉ざしていた被災者たちが、静かに体験を語り始める。
子供を喪った遺族の多くは納骨していないという。そこにあるのは、冷たい墓の中に入れてしまうことへの抵抗だけではない。
「納骨しないと成仏しないと言われますが、成仏してどっかに行っちゃうんだったら、成仏しない方がいい。そばにいて、いつも出て来てほしいんです」
魂でもいいからそばにいてほしいという願い。そばで見守っていてくれるから生きていけるという思い。そこには、仏教が輸入され、成仏という概念が広まる以前の、祖霊信仰の原点のようなものも伺える。
「他人の霊を見たら怖いでしょうね。でも私は見方が変わりました。その霊も誰かの大切な家族だったんだと思えば、ちっとも怖くないと思えるようになったんです」
死者の魂はすぐに消えてしまうのではなく、残された人の物語の中に位置付けられ、彼らを癒しながら、少しずつ、少しずつこの世を離れていく。