夏の砦

辻邦生「夏の砦」

辻邦生の初期の長編。中世のタピスリに惹かれ、北欧で染織工芸を学ぶ支倉冬子の魂の遍歴を、彼女が失踪する前に残した膨大な手記と手紙から浮かび上がらせる。

知人男性の視点を通して一筋の物語になってはいるが、おそらくこの小説は、どこか一部分を切り出しても成立するだろう。著者自身の死生観や芸術論が、作品の隅々にまで刻み込まれている。

生きることの根源的な不安と孤独、美のあり方、芸術の存在価値、幼少期の記憶から、現在の日々まで、冬子は手記の中で延々と自分を語る。率直に言って、不安定でややこしい性格の人でもある。ただ、そのややこしさは、誰もが多かれ少なかれ抱えているもので、だからこそ冬子の苦しみは決して他人事と思えない。思春期に読んでいれば、より心に残ったかもしれない。

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