大変有用な本である。朝日新聞の名文記者による文章指南書。名高い本多勝一「日本語の作文技術」とともに全ライター志望者必携。文章力の向上に即効性がある一冊。ただ、読みながら「良い文章」とは何だろうか、そんなものあるのだろうか、ということを(自分が気の利いた文章を書けないというやっかみ半分で)考えた。
この手の指南書は、基本的に「良い売文」の語法を伝授する。売文稼業に身をやつすつもりがなければ、こうした本は手に取らないでいいと個人的には思う。読みにくくても、常套句ばかりでも、破綻していても、稚拙でもいい。理想の文章像は状況次第、伝わりにくいかどうかも環境次第、普遍的な「良い文章」の存在なんてものを自分は信じない。
著者は「(書き出しの)三行で撃つ」ことの重要性を語り、常套句の使用を罵倒する。しかし、三行で撃つ文章ばかりになられてもうんざりだし、常套句だって便利な発明だ。
常套句を使うと自分で世界を観察しなくなると著者は指摘する。それはその通りで、常套句の多い文章は安っぽい。
しかし、文章とは多かれ少なかれ他者に思考を委ねる性質を持つものでもある。著者自身、格言的な言葉をしばしば引用しているが、それも他者に思考を支えてもらうという点では同じだろう。そして、他者に思考を支えてもらうこと自体は悪いことではない。書くことも読むことも、他者の思考と自分の思考の対話を通じて成り立っている。
自分の書くものに責任を持って全力でオリジナルの表現を考え出すという意識は必要だろうが、常套句には著者の言うところの文章の摩擦係数(読みにくさ)を減らす効果もある。結局、書く手間や文章の性質との兼ね合い、つまり状況、目的次第ではないか。
筆者の文章にも常套句とまではいわなくても常套表現が散見される。「発狂して」「気がふれて」都会を離れて百姓になったということを何度も書いているが、こうした「人とはちょっと違う思い切ったことをしたんだぞ」に「発狂」のような言葉を使うことが常套表現でなくてなんだろう。
「ちゃんちゃらおかしい」が好きと言い、「夜のとばりが降りる」「抜けるような空」を罵る。結局、常套句や既にある使い方に関しては、使う人、読む人がセンスが良いと感じるかどうかが全てで、普遍的な良し悪しはそこには無い。
実話誌には実話誌の、スポーツ紙にはスポーツ紙の、業界紙にはそれぞれの業界紙の話法があり、手垢の付きまくった表現の蓄積がある。それでいいじゃないか、と個人的には思う。文章を読んだだけで、何の媒体か分かり苦笑してしまう瞬間は嫌いじゃない。
もちろん、常套句を極力廃そうという意識を持ちつつ適度に使うことと、常套表現しかできないことには決定的な違いがある。無自覚に拙い文章を書き散らしているネットニュースやまとめサイトのライターは本書を全員読むべきである。