1973年のピンボール

村上春樹「1973年のピンボール」

僕、双子、鼠、ピンボール。日常の断章を通じて綴られるのは、曖昧だが耐えられない喪失感。

何かを失ってしまった。どこかで間違ってしまった。全ては終わってしまった。もうどこにも行きつくことはできない――。

最後に読んだのはたぶん大学生の頃で、久しぶりの再読。初めて読んだのは高校1年の時だったと思うけど、それから20年あまりが経ち、作品の発表からは40年、作中の時代からは半世紀、自分自身も登場人物の年齢を一回り以上超えてしまった今読むと、自分も社会もなんて遠くに来てしまったのだろうと思う。

喪失感は失われる前、あるいは失われつつある瞬間にこそ、最も切実に感じられるのかもしれない。高度経済成長とバブルの谷間の時代。それももはや半世紀前。今の社会に漂うのは喪失感というより諦念、いや、諦念すらも既に通り過ぎた後かもしれない。

「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」の四部作の中では、谷間に埋もれて最も語られることが少ない作品だけど、初期の著者の要素が全て出揃った記念碑的作品という印象を再読して受けた。

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