中学入学を控えた姪と、小説家の「私」が利根川沿いを歩いて旅する。道中、サッカーに打ち込んでいる少女はリフティングを、「私」は風景描写の「練習」を続ける。コロナ禍のロード・ノベルであり、柳田国男ら先人への言及には評論、随筆的な味わいも。
旅する練習は、そのまま生きる練習になる。そして、我々は誰もが終わりのない練習の中にいるのだろう。
姪・亜美(あび)の造形が魅力的(ただ、朗らかで前向きな「理想の少女」像には、おじさん目線という違和感を覚える人もいるかも)。淡々とした旅の描写は途中冗漫に感じることもあったが、旅の終わりが近づくにつれ輝きを増していった。読み終えて目を閉じると、二人の旅の光景が何度もよみがえる。
<ここから深刻なネタバレ>
終盤、喪失と死の影が濃くなっていき、旅を終えた後、亜美は事故に遭う。おそらくこの作品を読んだほとんどの人が、死なせなくても…という感想を抱くだろう。
後味の悪い結末だが、その残酷さこそがこの世界のリアルなのかもしれない。フィクションで人が死ぬ時、相応の理由や物語上の必然が無いと読者は納得しない。しかし、現実には死や喪失に理由なんてないのだから。