ふたり 皇后美智子と石牟礼道子

高山文彦「ふたり 皇后美智子と石牟礼道子」

2013年の水俣訪問を中心に、他者の悲しみに感応する「もだえ神」としての天皇皇后と石牟礼道子の姿を描く。

著者の北条民雄や中上健次の評伝が素晴らしかったので、そのレベルを期待していたら、ちょっと期待とは違う内容だった。水俣病闘争史に関しては「苦海浄土」の第二、第三部や渡辺京二の著書をもとに書かれた部分が多く、石牟礼道子という存在に対しても、取材者として踏み込むというより、友人としての描写にとどまっている。ただそのぶん人柄が伝わってくる貴重な一冊でもある。

水俣病と複雑な因縁のある皇室にとって、水俣への訪問や、自ら希望しての胎児性患者との交流は異例づくしの展開だった。患者の多くがそれを癒しと受け取った。国に捨てられた民が皇室に救いを求めるという構造は、問題を解決するわけではなく悲しさも感じるが、そもそも水俣病闘争は近代資本主義に前近代の情で挑んだ闘いだった。国とチッソはその情から巧みに逃げ続けたが、ふたりは正面から向き合った。

石牟礼道子は美智子皇后の文章が好きで「文学のお友だちになりたかった」という。98年IBBY(国際児童図書評議会)大会における皇后の講演が引用されていて印象的だったので、調べてみたら宮内庁のHPに全文が掲載されていた。

優れた読書論であると同時に、ストレートに心を打つ内容で驚いた。「どのような生にも悲しみはある」という言葉には、石牟礼道子の作品と響きあうものがある。

「私が、自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによってでした。(中略)本への感謝をこめてつけ加えます。読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても」

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