「紀伊半島は海と山と川の三つの自然がまじりあったところである。平野はほとんどない。駅一つへだてるとその自然のまじり具合がことなり、言葉が違い、人の性格は違ってくる」
「海からの潮風が間断なく吹きつけるこの枯木灘沿岸で、作物のほとんどは育たない。木は枯れる。(中略)潮風を受けて崖に立っていると、自分が葉を落とし枝が歪み、幹の曲がった樹木のような気がしてくる」
生地の新宮、母の故郷である古座、枯木灘と呼ばれる沿岸部から、熊野の山中、半島の入口である天王寺まで、中上健次は旅をする。「路地」を終生のテーマとした作家らしく、ただの紀行文では無く、その旅は、差別、被差別の関係を軸に、人間社会の根源を見つめる作業になる。
これほどの熱量を持ったルポを30歳で書いていることに驚く。自分にはこんな文章は一生書けない。取材や文章の密度、巧拙ではなく、この目を持つことができない。
戦後文学の到達点と言われることもある中上だが、もし「枯木灘」で終わっていたらここまで評価されることはなかっただろう。本書の旅は「枯木灘」発表の翌年。その後に「鳳仙花」「奇蹟」「千年の愉楽」などが続くことを考えると、神話的と評される豊饒な物語群を生み出すきっかけの一つにこの旅がなったことが分かる。