角幡唯介「探検家の憂鬱」
エッセイ集。冒険中の下半身事情という軽いものから、なぜ冒険するのか、という根源的な問いに対する考察まで。特に現代における冒険の意味については繰り返し触れている。飛行機で南極点も北極点も行ける時代、冒険は個人的な物語にならざるを得ない。航路の開拓といった大義や、未踏の地への初到達も、もはや無い。なぜ冒険するのか、なぜ旅するのか、なぜ山に登るのか。その問いと行為が切り離せなくなり、旅行記もただ体験を書くだけでは意味がなくなっている。著者の「雪男は向こうからやって来た」「空白の五マイル」は現代の冒険記として秀逸だと感じたが、それがどのような思考に裏打ちされているのか分かった。