猫を棄てる 父親について語るとき

村上春樹「猫を棄てる 父親について語るとき」

父について綴ったエッセイ。趣味や日常生活については多くの文章がある作家だが、家族や生い立ちについては断片的な事柄しか書いてこなかっただけに、創作の背景が分かる貴重な資料でもある。

著者の父、村上千秋氏は京都の浄土宗西山派寺院、安養寺の次男として生まれ、三度の招集を経て、戦後は西宮市の甲陽学院で教鞭をとった。学究肌の父と著者は思春期以降は疎遠となり、「和解」したのは死の数年前だったという(ちなみに母親は船場のお嬢様らしい)。

生前、父の話を聞くことは少なかったという著者だが、その軍歴を調べて、幼い頃に聞いた話とともにまとめている。

その中で、父の所属部隊が捕虜の中国兵を軍刀で殺したという話がある。その光景を見ただけなのか、父が自ら手を下したのか(当時はそれも珍しいことではなかっただろう)は分からないとしつつ、父はその光景を生涯抱き続け、その記憶は息子の自分が部分的に引き継ぐことになったと記している。

その上で歴史の本質を「引き継ぎ」であるとし、「その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう」と綴っている。

村上千秋氏は二度目の招集後、対米開戦の直前に招集解除されており、所属していた部隊はその後、南方戦線でほぼ玉砕した。

個人的な文章は最後に、血筋や自分という存在の不思議というような、ある意味で平凡な、かつての著者なら決して書かなかっただろうシンプルな感慨に辿り着く。しかし、そのメッセージは力強く、胸を打つ。

「言い換えれば我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。我々はそれを忘れてはならないだろう」

「たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。いや、むしろこう言うべきなのだろう。それが集合的な何かに置き換えられていくからこそ、と」

著者の作風は90年代の後半を境に大きく変化してきたが、個として生きる人間の喪失感を描いてきた作家が、個の尊厳を見つめることに辿り着くのは必然だったのかもしれない。

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