曾根崎心中・冥途の飛脚ほか

近松門左衛門「曾根崎心中・冥途の飛脚 他五篇」

掛詞などを多用した浄瑠璃の特殊な文体は、慣れない身には意味を掴みづらいが、流れるような詞の響きは現代の文学には存在しないもの。遊女に入れ上げて心中……なんて、しょうもない話だが、それでも最後の道行で泣けてしまう美しさがある。

浄瑠璃は世話物も時代物も、主要な登場人物には共感できず、代わりに脇役にまともな人が多い。時代による感性の変化か、そもそもそういうものなのか。登場人物全てが“道具”として扱われていて、リアリズムの対局に位置する究極の物語。

「此の世の名残。夜も名残。死にゝ行く身を譬ふれば。あだしが原の道の霜。一足づゝに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の。七つの時が六つなりて残る一つが今生の。鐘の響の聞納め。寂滅為楽と響くなり。鐘斗かは。草も木も。空も名残と見上ぐれば。雲心なき水の音北斗は冴えて影映る星の妹背の天の川。梅田の橋を鵲の橋と契りていつまでも。われとそなたは女夫星。必ず添うと縋り寄り。二人が中に降る涙川の水嵩も増さるべし」

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