辺見じゅん「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」
敗戦後、約60万の日本人がソ連各地に抑留され、再び故国の地を踏めなかった者も多い。
収容所で過酷な労働を強いられながら、俳句を詠むことで生きる希望と故郷への思いを忘れなかった人たちがいた。その「アムール句会」の中心となった男の遺書は、仲間たちが記憶して持ち帰り、敗戦から12年目に家族のもとへ届けられた。
極限状態でも失われない、人間らしさとは何かを考えさせられる記録。
「偏頗で矯激な思想に迷ってはならぬ。どこまでも真面目な、人道に基く自由、博愛、幸福、正義の道を進んで呉れ」と書いた子供たちへの遺書が胸を打つ。