石村博子「たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く」
世界大会で3度優勝し、公式戦無敗の41連勝、“サンボの神様”とまで言われたビクトル古賀(古賀正一)の少年時代の物語。満州から一人で引き揚げてきた少年の回想であると同時に、コサックの末裔の物語でもある。
「俺が人生で輝いていたのは、10歳、11歳くらいまでだったんだよ。(中略)俺のことを書きたいって、何人もの人が来たよ。でも格闘家ビクトルの話だから、みんな断った。あなたを受け入れたのは、少年ビクトルを書きたいっていったからさ」
武士の末裔である日本人実業家とコサックの女性の間に生まれた少年ビクトルは、ソ連国境に近い満州国ハイラルで生まれ育った。コサックは帝政ロシアを支えたとしてソ連では弾圧され、その多くが満州国に亡命して暮らしていた。ビクトルはハイラル郊外の草原で、コサックの血を引く少年として、幼馴染の友人たちと馬にまたがって幼年時代を過ごした。土地とともに共同体の文化が失われていく中、ビクトルは“コサック最後の少年”の一人でもあった。
やがて日本の敗戦と前後して、満州はソ連の激しい侵攻にさらされる。戦火の中、11歳のビクトルは逃げ遅れ、一人でハイラルからハルピンの親族のもとへと歩き出す。そこでしばらく暮らした後、再び一人で日本を目指すことに。当初は引き揚げ隊に加わったものの、ロシア人の血を引く容姿のため、同胞のはずの日本人から「ロスケ」と罵られ、荷物を奪われて列車を降ろされてしまう。
満州からの引き揚げについては、悲惨な記録や体験談が山ほどある。道中で多くの人が力尽きて死に、数え切れないほどの子供達が捨てられた。
しかし、ビクトルの旅には悲壮感が無い。彼には安全な道や寝床、飲み水の探し方など、コサックとしてたたき込まれたサバイバル術があった。やがてその日々を「愉しかった」と振り返るタフさに、読んでいるこちらが励まされる。
「日本人ってとても弱い民族ですよ。打たれ弱い、自由に弱い、独りに弱い。誰かが助けてくれるのを待っていて、そのあげく気落ちしてパニックになる」
道中でビクトルは多くの死者を見ることになる。弱者に厳しいリーダーの率いるグループほど多くの死者出していたという。
戦争の不条理と極限状態での人間の弱さ、浅ましさを突きつけられるとともに、その一方でたくましく生きていくことのできる人間の可能性も教えられる一冊だった。