フェルディナント・フォン・シーラッハ「テロ」
注目の作家シーラッハの初戯曲。誰かを助けるために、誰かを犠牲にすることは許されるか。「トロッコ問題」などで知られる古典的な問いかけだが、テロの時代である現代、それは思考実験ではなく、現実の問題になりつつある。
作品の舞台は法廷。被告の空軍少佐はテロリストにハイジャックされた旅客機を無断で撃墜し、164人を殺した罪に問われている。撃墜しなければ旅客機は満員のスタジアムに墜落し、7万人が犠牲になったかもしれない。被告は有罪か、無罪か、人間の命を天秤にかけることは許されるのか。著者は弁護士でもあり、検察、弁護側双方の言い分に説得力があり、簡単に答えは出せない。
検察はモラルや良心は揺らぐと強調し、法治国家の検証の基準は法であってモラルではない、そのことに気づくために人間は長い年月と多くの犠牲を払ってきたと指摘する。数や残された寿命で人命に軽重の差を付けることは人をモノ扱いすることになる。自由な社会の存続のためには人間の尊厳の原則は侵してはならない、と。一方、弁護側は「人間の尊厳の原則が人命に優るのか」と問う。
実際の上演では観客全員が参審員として参加し、投票で有罪か無罪かの結末を決め、世界各地での上演結果が集計されている(http://terror.theater/)。
ドイツ本国では数十カ所で上演され、無罪が多数。一方、日本では4回の上演とも有罪。ドイツではテロが身近なものであるからか、あるいは日本の方が法治主義が根付いているからなのか。法と倫理のどちらを優先するかにも地域性があるかもしれない。