富士正晴「桂春団治」
戦前の落語界で一世を風靡した桂春団治の評伝。上方落語を巡る状況は今に至るまで時代とともに目まぐるしく変わっており、戦前と刊行(1967年)当時のそれぞれの空気が感じられて興味深い。
併録の二代目林家染丸と妻とみの評伝である「紅梅亭界隈」と、春団治の最初の妻、東松トミの評伝も含めて、どれを読んでも印象的なのが、落語家の妻の苦労(落語家に限らず、この時代は文楽でも歌舞伎でも芸人の妻は皆同じか)。
亭主はほとんど家に金を入れず、一家の生計を妻が支え、さらに女遊びを繰り返してもそれを芸の肥やしとして受け止める度量。春団治の妻トミは、金持ちの後家に惚れ込まれた春団治とその周囲に無理矢理離縁に追い込まれながら、晩年まで付き合いを続け、必要な時に金の工面までするという……。春団治に限らず、こうした語られない女性たちの存在の上に、名人の芸は、のびのびと、破天荒に育っていったのだろう。
初めまして。
生活の面の尻拭いと資金の両面で貢献してくれた糟糠の妻のトミを捨てて置きながら、
彼女の屈辱も憤りも考えず、自分の利益のために都合よく利用しようとするなど、
まるで使い捨ての、使い勝手の良い道具みたいに扱って来た春団治に、怒りを禁じ得ません。
特にトミの後ろ盾にもなっていた二番目の夫が亡くなった後、トミを妾にしようとしていたり、
また記事に取り上げられた本の160-161ページで、
同じ頃、春団治側の大きな原因でトミに損害を負わせ、その陰で利益を得、それで芸者を落籍した可能性が高い、というくだりを読み
自分がいくらでも踏みにじっても、利用しても良いと見た弱い標的に目を付け、踏み台にする外道ぶりが鬼のようで、戦慄しました。
また279ページに、当時の雑誌に、トミが亭主を金で売ったというようなことをかかれる、
というくだりを読んで、
実際は春団治が加害者で、トミが被害者なのに、全くあべこべも良いところだ、
いくら女が低く見られていた時代だとしても、あまりに惨過ぎる追い打ちです。
春団治と志うは、まるでいじめっ子夫婦です。
自分達に暴力を振るったり嫌がらせをしたわけでもない人間達を、
乱暴に踏みにじり迫害などしても恥じない者同士、お似合いです。
彼らの幸福は、トミと娘のふみ子の不幸の上に咲いた地獄花です。
「女は泣かしなや」と春団治は言葉を遺したそうですが、「残酷な偽善者の言葉だろうが」と思いました。
捨てられたトミとふみ子が、春団治の人生の尻拭いをしてくれたのに、
春団治からは何らお返しも無かったに等しい事を思うと、神も仏も無いものかと、理不尽を感じます。
彼女達は、地獄のような時代を、良く生き抜いてきた…と思います。
2021年に入り、女房(よめはん)が旦那の芸人の身勝手に踏みにじられ、搾り取られるのは、
そしてそれが良しとされる残酷なガラパゴス日本の因襲は、もう卒業するべきなんだ、という思いです。