山崎朋子「サンダカン八番娼館」
南洋で春をひさいだ“からゆきさん”の聞き書き。
精神的に鎖国しているような戦後の日本に暮らしていると忘れそうになるが、ほんの70年前まで、夥しい数の日本人が、満州から南洋、果ては遥かアフリカや南米まで出稼ぎのため海を渡った。女性史研究を志す著者は、天草の地でボルネオ・サンダカンの娼館で働いていたというおサキさんと偶然出会い、3週間同居して話を聞き出す。
売春を底辺と言い切り、貧しい、悲惨と連呼する観察者視点や、身分を偽っての取材は(結果オーライだったとしても)今読むとかなり違和感があるが、消え去るはずだったからゆきさんの声が後世に残ったことは大きな価値がある。貧しさから10歳で身を売り、異国で一晩に多い時は30人の男を相手にする生活。敗戦後、故国に帰っても居場所はなく、身内からも社会からも恥部として隠される。
大学時代に訪れたザンジバル(タンザニア)にもからゆきさんの娼館が残っていて驚いたが、今やザンジバルの名すら知らない日本人が大多数だろう。