古井由吉「槿」
記憶の断片と、とりとめのない思考が混じり合う。離人症という言葉が作中に出てくるが、今ここに生きているという実感が失われてしまう瞬間を伸び縮みする不思議な文体でとらえている。読みやすい小説ではない。一文一文は極めて平易な日本語なのに、一段落となると理解に苦しむ。二人の女との関係が物語の主軸となるが、著者はそのドラマに筆を割くわけではない。人物描写も不可解だが、妄想が絡み合って互いの思考に根を下ろしていく様はリアリティがあり、生きることに対する根源的な恐怖のようなものが心に残る。