33の物語。いずれも短編というより掌編の短さだが、まずタイトルの長さが目を引く。
冒頭に収められているのが「一年一組一番と二組一番は、長雨の夏に渡り廊下のそばの植え込みできのこを発見し、卒業して二年後に再会したあと、十年経って、二十年経って、まだ会えていない話」。
次が「角のたばこ屋は藤に覆われていて毎年見事な花が咲いたが、よく見るとそれは二本の藤が絡まり合っていて、一つはある日家の前に置かれていたということを、今は誰も知らない」。
ほかに「ラーメン屋「未来軒」は、長い間そこにあって、その間に周囲の店がなくなったり、マンションが建ったりして、人が去り、人がやってきた」など。
綴られているのは何てことない誰かの人生。ありふれた土地の歴史。しかもタイトルがその話の中身を全て表している。それでも、小説を読む喜びが減ずることはない。
場所や人の物語を早回しで見ているよう。時間が伸び縮みし、他者の人生に思いを馳せる。それはまさに小説の営み。百年の中に一日があり、一日の中に(過去として、未来として)百年がある。一人の物語は世界の歴史につながっている。