狂人日記

色川武大「狂人日記」

著者の最後の長篇にして、到達点。他者を求め、他者に遠慮し、他者を諦め、それが独善であることに気づく。幻覚、幻聴に悩まされ、正気と狂気の間を彷徨う男の記録。

「自分は誰かとつながりたい。自分は、それこそ、人間に対する優しい感情を失いたくない―」

人は多かれ少なかれ、どこか狂っているのかもしれない。生きづらさを抱えていない人もいないだろう。それでも多くの人はその歪みに目をつぶって生きていく。自分自身を直視するのは苦しい。著者の文章は極めて平易で、淡々と自身の内面を見つめる迫力に圧倒される。

「自分は人生のはじめの頃から、誰か他者を信じることができなかった。戦争もあり、大きな観念のようなものにも拠りどころが得られない。そのため(しかたなく)自分だけを頼りに、閉鎖的に生きるつもりだった。ところがその自分が頼りにならない」

「そのたびにとりあえず頼れそうなものに近づいたりもした。けれども、孤立して生きる姿勢に慣れていて、というより、心を開く訓練をしていないために、まず第一に他人が自分を理解してくれなかった。そのうえ、はじめは気づかなかったが、自分の中に、人々と心をかよわせたい欲求が渦を巻いているのを知った」

「他者に心を開け。簡単に思う人も居るだろうが、自分がやろうとすると、卑屈になったり、圧迫したりしてしまう。そればかりでなく、どの場合も不通の箇所がこつんと残る」

「自分は、愛し、愛される、という実感を得たことがない。似たようなことをしているつもりで、そうでないことに後で気がつく。あるとき、愛とは、許すことかと思った。賭けることかとも思った。築くことかとも思った。そうした考え自体がぎこちない」

コメントを残す