サピエンス全史(上)

ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 (上)」

我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか。というのはゴーギャンの有名な絵のタイトルだが、この問いかけは“人類”という自己認識が生まれてから、あらゆる学問や芸術、宗教の根本的なテーマとなってきた。

「サピエンス全史」は、この問いに近代が積み上げてきた学問の総力を挙げて挑む。生物学や社会学から、経済、科学、宗教、哲学まで、多角的にホモ・サピエンスの歴史を描き出す。出来事の羅列より、なぜ私たちは今こう考えるのか、なぜこうした社会が発展したのか、といった考察に力点が置かれていて非常に刺激的な内容。

著者はサピエンス史を、ホモ・サピエンス以外の人類がいた世界から書き始める(ホモ・ネアンデルターレンシスやホモ・フローレシエンシスといった別の種はサピエンスによって駆逐か同化させられ、現在の地球には残っていないが、もしサピエンスと共存していたら、どんな世界になっていただろう)。そして7万年前の「認知革命」、1万2千年前の「農業革命」、500年前の「科学革命」の三つによって、サピエンスの繁栄の背景を説明する。

認知革命によって生まれた虚構を信じる(扱うと言った方が正確かも)能力はサピエンスを他の全ての生物と決定的に違う種にした。それは神話を生み、共同体を作り、宗教を発展させ、貨幣を流通させ、法を定め、社会を発展させた。近代に至り、その能力は科学の進歩と拡大する富という信念を根付かせ、資本主義の原動力にもなった。

続く農業革命については、著者は従来考えられていたような“進歩”ではなく、人口増加の引き金を引き、個々の生活の悪化を引き起こしたと指摘する。飢饉や過重労働は狩猟採集社会では生まれなかった。「劣悪な環境でより多くの人を生かしておく能力」こそが農業によって人類が得たものなのだ(これはそのまま現代の産業社会にも当てはまる指摘だろう)。

サピエンスの種としての繁栄は個の幸福を約束しなかった。

コメントを残す