それでも人生にイエスと言う

V.E.フランクル「それでも人生にイエスと言う」

「夜と霧」のフランクルの講演録。自己啓発書のようなタイトルだが、これは強制収容所で歌われていた歌の一節から。

人間を手段として利用し、“価値のない命”を奪う優生思想と合理主義が行き着いた先で、生きる意味をどう見出すか。フランクルは収容所での体験と医師としての経験から数々の実例を紹介し、価値のない存在などないということを説く。特に障害者や病人などの命を奪った優生思想の誤りについては厳しく批判する。

「人生は生きる価値があるのか」という問いに対し、フランクルは、人生に何を期待するかではなく、人生が自分に何を期待しているかを考えなくてはならないと言う。この考え方の転換によって、初めて人生に意味が生まれる。 個人にとって人生は意味がないが、世界にとって、周りの人間にとって、その人の存在は代替不可能でかぎりなく意味を持つ。「一隅を照らす」といった言葉に示されているように、何か大きなことを成し遂げなくても、自らがすべき事をし、些細な気遣いができる人は気高い。死の床においても、人は人に印象を残すことができる。病にも苦悩にも、それをどう生きるかという態度を示す意味がある。

人生に意味を問うのではなく、人間はあくまで問われている存在だというのが、フランクルの実存主義の根本にある。個人の存在は死んだ後も、放射され、世界に影響に残す。その大小は問題ではない。

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