調査されるという迷惑

宮本常一、安渓遊地「調査されるという迷惑 ―フィールドに出る前に読んでおく本」

善意の及ぼす結果や範囲に人は無自覚になりやすい。宮本常一の文章は1章だけだが、生涯を歩く、見る、聞くことに費やした宮本の問題意識が込められていて心に残る。

「調査というものは地元のためにはならないで、かえって中央の力を少しずつ強めていく作用をしている場合が多く、しかも地元民の人のよさを利用して略奪するものが意外なほど多い」

学術調査に限らず、報道も、あるいは行政によるPRも、ローカル性の固定や消費に陥りやすい。宮本が老人に「あなたはとうとう調査をしなかったが、それでよいのか」と言われたというエピソードが印象的。

「相手の話をしているなかに、私の知りたいことが含まれていればよいので、質問して答えてもらうことが必ずしも調査ではない」

かつて学者が1、2人で地方を訪れていた頃は学者に接した地元側に知識が落とされていたが、研究が大規模になるにつれ、在野の学究の徒を育てることにつながらず、収奪する形になっていったという指摘も、学問の発展が本当に人のためになっているのかという問いを突きつけてくる。

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