わが町

ソーントン・ワイルダー「わが町」

ありふれた人生。いつかこの世を去り、次第に人々の記憶からも消えていく。生きることの永遠不滅な部分はどこにあるのだろう。平凡な町の、平凡な人々の、平凡な日々。

“舞台監督”の語りを挟むことで読み手=観客の視点を物語から常に引いた場所に位置させ、ありふれた内容から普遍的なものを描く。普遍化ということの見本のような作品。物語そのものには何も特別さがないため、心に残ったものを言葉で掴むのが難しい。

東京原子核クラブ

マキノノゾミ「東京原子核クラブ」

理研時代の朝永振一郎博士をモデルに、戦争へと進んでいく時代の青春を描く。史実をもとにしつつも、決して“戦争もの”ではないし、評伝でも無い。仁科研の二号研究自体も既によく知られているため、科学と戦争や倫理の問題を描いた作品としての目新しさも無いけど、ストレートな青春群像劇として心に残る。最後まで爽やかさを失わず、時代に関係なく、そこに生きた人々にとって、自分だけの悩みや喜びを抱えたかけがえのない日々があったことが、すっと心に染みる。

壊れた風景/象

別役実「壊れた風景/象」

別役実の代表作のひとつ「象」。病床で原爆症に苦しみつつも、背中に残るケロイドを人々に見せびらかすことを夢見る男。原爆の悲惨さを扱った作品である以上に、圧倒的な暴力の被害を受けた時、人がどこにアイデンティティを求めて生きていくかの問題を浮き彫りにしている。
“壊れた風景/象” の続きを読む

ハムレット

シェイクスピア「ハムレット」

堂々巡りをする復讐者、ハムレット。今読むと悲劇というより一種の不条理劇という印象が強く、安易な共感は寄せ付けない。長い独白で表現されるハムレットの心境、登場人物のほとんどが一気に死んでいく終盤の構成も圧巻。

ヘンリー四世

シェイクスピア「ヘンリー四世」

英国版“大河ドラマ”で、物語そのものは少し冗長に感じるものの、過剰に饒舌なセリフのかけあいが魅力的。ダメ騎士フォルスタッフを描くために物語がある。特に一見蛇足にも思える第2部の存在にその印象が強い。

オセロー

シェイクスピア「オセロー」

妻の不貞を疑い、嫉妬に狂うオセロー。

最もコントロール出来ない感情として、“嫉妬”が物語の中心にあるが、人種や親子、友人、主従……など人間関係のあらゆる問題が詰まっている。だからこそ世界中で何度も何度も再演され続けているのだろう。

「嫉妬というのはひとりで種をはらんでひとりで生まれる化け物です」

セールスマンの死

アーサー・ミラー「セールスマンの死」

働いて、働いて、その先に何があるのか。子への過度な期待は行き場を無くし、職とともに自らのアイデンティティも失われる。夢の終わりを受け止められず、人生が空虚であると認めたくない故に追い込まれてゆく老セールスマン。

これが60年以上前の作品ということに驚く。書かれた時点よりも、世界の変化とともに普遍性を増してきたと思える作品。一方で、これが過去の社会を描いたものと捉えられるような世界になってほしいとも思う。

カリギュラ

アルベール・カミュ「カリギュラ」

「異邦人」「シーシュポスの神話」とともにカミュの不条理三部作の一つに数えられる作品。

“ペスト”として振る舞う皇帝カリギュラ。自由や生の意味を論理的に追い求めることは狂気と紙一重ということが、強烈な印象とともに突き刺さってくる。

「私は論理に従うことに決めた。私には権力がある。論理がどれほど高くつくか、おまえたちはみることになるだろう」

「人間の本当の苦しみはそんな軽薄なものじゃない。本当の苦しみは、苦悩もまた永続しない、という事実に気づくことだ。苦悩ですら、意味を奪われている」

東京ノート

平田オリザ「東京ノート」

美術館の片隅で淡々と続く会話の断片。劇中では明確に説明されないが、ヨーロッパで大規模な戦争が起こり、美術品が日本へ疎開、軍需産業の特需や難民の流入という背景設定が秀逸。

そうした“異常”な社会の日常は現実の日本の日常と変わらない。家族や社会、日常を巡る会話を通して、他者への無関心を直接描かずに鮮明に浮かび上がらせている。