オセロー

シェイクスピア「オセロー」

妻の不貞を疑い、嫉妬に狂うオセロー。

最もコントロール出来ない感情として、“嫉妬”が物語の中心にあるが、人種や親子、友人、主従……など人間関係のあらゆる問題が詰まっている。だからこそ世界中で何度も何度も再演され続けているのだろう。

「嫉妬というのはひとりで種をはらんでひとりで生まれる化け物です」

セールスマンの死

アーサー・ミラー「セールスマンの死」

働いて、働いて、その先に何があるのか。子への過度な期待は行き場を無くし、職とともに自らのアイデンティティも失われる。夢の終わりを受け止められず、人生が空虚であると認めたくない故に追い込まれてゆく老セールスマン。

これが60年以上前の作品ということに驚く。書かれた時点よりも、世界の変化とともに普遍性を増してきたと思える作品。一方で、これが過去の社会を描いたものと捉えられるような世界になってほしいとも思う。

カリギュラ

アルベール・カミュ「カリギュラ」

「異邦人」「シーシュポスの神話」とともにカミュの不条理三部作の一つに数えられる作品。

“ペスト”として振る舞う皇帝カリギュラ。自由や生の意味を論理的に追い求めることは狂気と紙一重ということが、強烈な印象とともに突き刺さってくる。

「私は論理に従うことに決めた。私には権力がある。論理がどれほど高くつくか、おまえたちはみることになるだろう」

「人間の本当の苦しみはそんな軽薄なものじゃない。本当の苦しみは、苦悩もまた永続しない、という事実に気づくことだ。苦悩ですら、意味を奪われている」

東京ノート

平田オリザ「東京ノート」

美術館の片隅で淡々と続く会話の断片。劇中では明確に説明されないが、ヨーロッパで大規模な戦争が起こり、美術品が日本へ疎開、軍需産業の特需や難民の流入という背景設定が秀逸。

そうした“異常”な社会の日常は現実の日本の日常と変わらない。家族や社会、日常を巡る会話を通して、他者への無関心を直接描かずに鮮明に浮かび上がらせている。

芝居の神様 島田正吾・新国劇一代

吉川潮「芝居の神様 島田正吾・新国劇一代」

98歳で亡くなる直前まで芝居に生きた島田正吾の評伝。澤田正二郎の急死から、島田・辰巳柳太郎の二人による黄金期、緒形拳の退団を経て、後継者の不在、低迷、解散に至るまで新国劇の歴史を描く。

解散と辰巳の死去後、島田は新国劇の代表作を一人芝居にアレンジして上演を続けた。生涯を捧げた、という表現がこれほどふさわしく、魅力的な人はいない。

現代演劇の地図

内田洋一「現代演劇の地図」

セリフによる劇=ストレートプレイは日本に定着し得るか。能も浄瑠璃も歌舞音曲と切り離せない。この伝統をいかに乗り越え、セリフに身体性をもたせるのか。

井上ひさし、野田秀樹、平田オリザから、本谷有希子まで。各所に発表された評論をまとめたもので、前半の書き下ろし部を除くとややまとまりに欠ける印象だが、それぞれの劇作家、演出家が何を表現しようとし、どう変化してきたのか、挑戦の見取り図となっている。

宝塚という装置

青弓社編集部「宝塚という装置」

宝塚に関する論文集。宝塚の世界は他の芸能と違い、役名―芸名―愛称―本名、の四つの層で形成され、本名=現実社会は徹底的に隠されている。これによってより浮世離れした舞台が築き上げられていることなど、宝塚の特異性が分かりやすい。全体的に若い研究者が多くてレポート止まりの内容も。

タカラヅカ

毎日新聞社「タカラヅカ」

70年代に「ベルサイユのばら」が社会現象となった直後の宝塚を取り上げた連載企画。あとがきで自ら“野次馬根性”と書いている通り、奔放な連載ながら、当時の空気感が伝わってくる名企画。人工美を追求した舞台と宝塚の町。何より、浮世離れした歌劇団や音楽学校の世界に踏み込んでいて、今読んでもとても面白い。