日本の現代演劇

扇田昭彦「日本の現代演劇」

60~80年代を中心に日本の現代演劇史がとても分かりやすくまとまっているとともに、著者個人の観劇体験が書かれていて、演劇ファンが何を見て、どう感じてきたのかの記録ともなっている。

「戦後文学」のような「戦後演劇」を作れなかった新劇、唐十郎らが目指した身体性、蜷川幸雄が商業演劇に移った意味と功績、寺山修司の異端性がどこに由来しているのか、70年代のつかこうへい、80年代の野田秀樹が演劇にもたらしたもの……

余談だが、こうした分かりやすい演劇史が、関西や地方の演劇活動についても書かれてほしい。地方で優れた作品が作られても、それは歴史からこぼれてしまう。

おかしな二人

ニール・サイモン「おかしな二人」

妻と別れただらしない男と、几帳面すぎる故に結婚生活が破綻した男。バツイチの男同士で始まった同居生活。二人の関係は次第に夫婦のようになっていき、やがてその“結婚生活”も再び破綻する。

ほぼ半世紀前の作品で、今となってはありきたりに思えるような設定だけど、登場人物がいきいきと動くさまは似たような作品を寄せ付けない。コメディのひとつの完成形と思えるテンポの良さ。

わが町

ソーントン・ワイルダー「わが町」

ありふれた人生。いつかこの世を去り、次第に人々の記憶からも消えていく。生きることの永遠不滅な部分はどこにあるのだろう。平凡な町の、平凡な人々の、平凡な日々。

“舞台監督”の語りを挟むことで読み手=観客の視点を物語から常に引いた場所に位置させ、ありふれた内容から普遍的なものを描く。普遍化ということの見本のような作品。物語そのものには何も特別さがないため、心に残ったものを言葉で掴むのが難しい。

喜劇の手法 笑いのしくみを探る

喜志哲雄「喜劇の手法 笑いのしくみを探る」

「喜劇」は笑いを追求する他の芸能とは違う仕組みを持っている。考察は少なく、あらすじと構造の紹介が続いて読み物としてはちょっとしんどいが、名作と呼ばれる作品がいかに巧みに構築されているかが分かる。

観客が作品内の情報を、どの段階で、どの程度掴むのか。劇と観客の距離によって、同じ出来事が喜劇にも悲劇にも映る。
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東京原子核クラブ

マキノノゾミ「東京原子核クラブ」

理研時代の朝永振一郎博士をモデルに、戦争へと進んでいく時代の青春を描く。史実をもとにしつつも、決して“戦争もの”ではないし、評伝でも無い。仁科研の二号研究自体も既によく知られているため、科学と戦争や倫理の問題を描いた作品としての目新しさも無いけど、ストレートな青春群像劇として心に残る。最後まで爽やかさを失わず、時代に関係なく、そこに生きた人々にとって、自分だけの悩みや喜びを抱えたかけがえのない日々があったことが、すっと心に染みる。

壊れた風景/象

別役実「壊れた風景/象」

別役実の代表作のひとつ「象」。病床で原爆症に苦しみつつも、背中に残るケロイドを人々に見せびらかすことを夢見る男。原爆の悲惨さを扱った作品である以上に、圧倒的な暴力の被害を受けた時、人がどこにアイデンティティを求めて生きていくかの問題を浮き彫りにしている。
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ハムレット

シェイクスピア「ハムレット」

堂々巡りをする復讐者、ハムレット。今読むと悲劇というより一種の不条理劇という印象が強く、安易な共感は寄せ付けない。長い独白で表現されるハムレットの心境、登場人物のほとんどが一気に死んでいく終盤の構成も圧巻。

ヘンリー四世

シェイクスピア「ヘンリー四世」

英国版“大河ドラマ”で、物語そのものは少し冗長に感じるものの、過剰に饒舌なセリフのかけあいが魅力的。ダメ騎士フォルスタッフを描くために物語がある。特に一見蛇足にも思える第2部の存在にその印象が強い。