ゴドーを待ちながら

サミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」

ただひたすらゴドーを待つ2人。ゴドーが何者なのか、2人は何者なのかは全く説明されず、意味のない会話が延々と続く。途中わずかに別の登場人物も絡むが、何かが起こってほしいという期待は裏切られ続ける。

不条理劇の代表のように言われているけど、シンプルに人生や家族の寓話のように読めばそれほど難解ではない。「Godot」は「神」でも「死」でも「ドラマ」でも何でもいい。難解ではないが、いくらでも解釈できるのが難しく見せている。それも人生らしい。

わたしたちに許された特別な時間の終わり

岡田利規「わたしたちに許された特別な時間の終わり」

本谷有希子、戌井昭人など、ここ数年評価が高い新人小説家の多くが演劇畑出身というのは、活字漬けで育ってきた身からすれば少し淋しい。大江賞を受賞した岡田利規もその一人で、ここに収録された「三月の5日間」は00年代で最も影響が大きかったとされる演劇の小説版。イラクで戦争が始まった日からの5日間、渋谷のラブホテルでだらだら過ごしている男女を描いただけで、そこにはドラマも何も無い。ただよく分からない“特別な感じ”だけが漂う。

“特別”が分からなくなった現代。村上春樹が描いた時代の喪失感の次をとらえかけているような気がしなくもない。

マクベス

シェイクスピア「マクベス」

四大悲劇の一つとされているけど、「リチャード三世」のようなスピード感と鮮やかさがあって読みやすい。リチャード三世は悩まず破滅の道を走るが、マクベスは苦悩し、魔女の予言に囚われてしまう。マクベスと夫人の会話は1人の人間の内面のやりとりのよう。夫婦の立場が入れ替わる構成も巧み。シェイクスピア作品の中でも、物語の見せ方という点で、特に現代的に感じる。

演劇最強論

徳永京子、藤原ちから「演劇最強論」

若手〜中堅劇団を中心とした演劇ガイド。以前は全く興味がなかった世界だが、最近足を踏み入れて、他のジャンル以上に今なお創造性豊かな作品が作られていることに驚いた。20世紀を通じて他の表現手法の鉱脈が徹底的に掘られ、停滞感が漂う中、それらの成果がよりプリミティブな芸術である舞台に環流しているのかもしれない。
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兄帰る

永井愛「兄帰る」

多額の金を横領して失踪した兄、幸介が十数年ぶりに帰ってくる。親戚も交えて責任を押しつけ合う中、流され続ける弟、保。“部外者”として正論を吐き続ける保の妻、真弓。人物描写が絶妙で、登場人物の誰にも愛着が持てない一方で、どこか感情移入してしまう部分がある。「正論の怪獣」の真弓が最後に揺らぐことで、正論なんてそもそも幻想ではないのか、誰もが欺瞞の中で生きているなら、嘘つきの幸介が一番筋が通っていて、だからこそ一番やっかいなのだ、そんな気さえしてしまう。

地図を創る旅 青年団と私の履歴書

平田オリザ「地図を創る旅 青年団と私の履歴書」

自ら「地図を創る旅」と言うように、著者は、方法論を確立し、それを新たなオーソドックスとして広めることにかなり意識的に取り組んできた。若手へのワークショップや地域劇団とのネットワーク作りに積極的に取り組んできたこともあって、演劇界では、青年団の動員や評価だけでは計れない存在感がある。物を書くべくして育った青年が、何となく始めた演劇になぜここまでこだわってきたのか。大学時代の事をこれほど鮮やかに振り返ることができるのは、自らの歩いている位置に対して常に意識的だったからなのだろう。読み物としてもとても面白い。

演出家の仕事

栗山民也「演出家の仕事」

演出入門と言うよりは、栗山民也が自らの演出手法を通じて、演劇観、さらには世界をどう見るかという哲学を語ったもの。とにかく「聞く」(=見る=読む)と言うことを大切にしている。誰かの話す小さな声、世界の微かな変化。それらを拾い上げることから何かが生まれる。栗山民也は自分らしさや独自性なんて一切気にしない。“自分の中にある何か”を外に発する事ばかりが芸術ではないということが分かる。ただ巻末に収録されている「『ロマンス』演出日記」を読むと、原稿が遅い井上ひさしのもとで働くことが多かったから、そうした姿勢が身についたという気がしなくもない。

岸田國士「紙風船」ほか

ハヤカワ演劇文庫「岸田國士I」

岸田國士の短い戯曲13篇。「紙風船」など夫婦の日常を切り取った作品が多い。変化していく夫婦、男女、家族の関係。大正時代に書かれたものとは思えない。すれ違い、取り繕い……会話の微妙な空気を芸術として提示する姿勢は現代の作品と変わらない。

生身の人間が行う演劇は人間関係の緊張感や閉塞感を顕在化させる。別役実は「劇作家は時代による対人関係の変化を捉えるのが仕事」と語っていたが、そうした意味では、岸田國士の短い作品は演劇の見本のよう。

近代能楽集

三島由紀夫「近代能楽集」

三島由紀夫が能を現代風に翻案した戯曲集。非常に巧みな翻案で、短編小説よりも短い文章に三島のエッセンスが凝縮されている。能楽の美と三島の美意識が深いところで共鳴しているよう。

解説でドナルド・キーンが書いているように、能は言葉遣いは古くても、内容自体はギリシア古典劇と同様、時代に全く関係が無い。時代を超越した人の情念や美を描いていることがよく分かる。

リチャード三世

シェイクスピア「リチャード三世」

シェイクスピアの描く“極悪人”。兄弟を陥れ、仲間を殺し、未亡人を誘惑する。饒舌で、語りかけや傍白が多く、観客から近いところにいると感じられるためか、悪人ながら強烈な魅力を放っている。フォルスタッフ、オセロ、ハムレット…シェイクスピアはどの作品でも物語よりも人物に強い印象が残る。