1989年のブッカー賞受賞作。
語り手の執事スティーブンスは、四角四面の、現代ではかえって慇懃無礼に感じられるような“英国執事”。ことあるごとに執事としての品格を延々と語り、新たな主人であるアメリカ人に合わせるために、真剣にジョークを研究するさまがその性格をよく表している。
ある日休暇を貰った彼は、かつて同じ屋敷に勤めた元同僚の女性を訪ねて小旅行に出かける。その旅の風景と、過ぎ去った日々の回想が交互に綴られる。
彼が長く献身した前の主人は、2度の世界大戦の間に、国際平和への強い思いから英独の融和に尽力したが、やがてナチスの傀儡として全ての名声を失い、失意のうちに亡くなった。執事の回想の多くは、その主人とともに世界の“車輪の中心”にいた輝かしい日々の思い出に割かれる。その中で、徐々に女中頭だった女性との関係がほのめかされる。
表だった男女の関係ではない。お互いに恋愛感情に近いものを持ちながら、執事が徹底して仕事を優先し、最後まで執事としての外面を崩さなかったため、やがて女中頭は知り合いに求婚されて屋敷を出て行ってしまった。小説の終盤、執事はその女性と再会するが、女性は過去を懐かしみつつも、家庭を持った現在の慎ましやかな幸せを語る。
過ぎ去った日々は決して戻らない。作中で語られるのは、大英帝国の輝かしい時代の名残りであり、華やかな近代文化の名残りであり、語り手の執事の、職業人としての、そして一人の男としての熱を持った日々の名残りである。
日はもう昇らない。それでは、執事の生涯は徒労だったのだろうか。
最後の場面で、執事に通りすがりの男が、夕方が一日でいちばんいい時間だと言う。
日は既に沈んでしまっている。決してあの輝かしい時間は戻らない。それでも人生において、あたたかな日の名残りが感じられる、そんな夕方を迎えられれば、それは幸せな生涯だったと言えるのではないだろうか。