日本百名山

深田久弥「日本百名山」

多くの人に影響を与えながらも、実は読んだことのない人も多いという本の筆頭かもしれない。

自分自身も山に登るようになってから百名山を一つの道標としてきたが、本そのものは敬遠し手に取ることはなかった。今回初めて通読し、その充実した内容と文章に感銘を受けた。山の故事来歴の考察、著者自身の登山記までが短い文章の中に過不足なくまとめられ、特に山容の描写については名文と言ってもいい。

たとえば最初に挙げられている利尻岳についての文章の末尾。

「稚内へ向って船が島から遠ざかるにつれて、それはもう一つの陸地ではなく、一つの山になった。海の上に大きく浮んだ山であった。左右に伸び伸びと稜線を引いた美しい山であった。利尻島はそのまま利尻岳であった。それもいよいよ遠くなり、稚内の陸地が近づいて来た。やがて山も消え、その山の形に白い雲が一と所海面に湧き上っているのが、利尻岳の最後の面影であった」

利尻島を船で訪れたことがあれば、このシンプルな描写の美しさに胸を打たれるのではないか。

あるいは槍ケ岳について。

「どこから見てもその鋭い三角錐は変ることがない。それは悲しいまでにひとり天をさしている」

他の山々の稜線や頂に立った時、槍ケ岳の鋭峰だけは遠くからでも一目で識別できる。

乗鞍岳についての「乗鞍は登ると言うより、住むと言った方が似つかわしい山である」という一文も、その雄大さと懐の深さをよく言い表している。

百の名山を選ぶにはその数倍の登山経験がいる。一方で「たとえ山へ行かなくても、書斎で山の本を読み山の由来を尋ね山を思慕することをも、山岳人の立派な資格に数えている」という著者だけあって、山の名前の由来などを巡る考察も読み応えがある。

美ヶ原についての文章では、高原(こうげん)という語が明治以前には無かったことを挙げ、日本人が広闊な草原を芸術や鑑賞の対象として愛でるようになったのは、欧米の文学や絵画を通じて高原の美を発見してからであろうことを綴っている。

富士山は登山の面白さについては触れずにやや大仰にその偉大さだけを讃え、白山は「ふるさとの山」としての思い入れを綴っている。そんな濃淡も面白い。

深田久弥の「日本百名山」の後、さまざまな登山家や組織が、二百名山や新百名山、各地の百名山など新たなリストを考えたが、そのどれもが深田の百名山ほどには一般化しなかった。それは二番煎じということより、その山々を表現する文章を持たなかったことが理由ではないかと思わせる。

深田は後記で、「よく私は人から、どの山が一番好きかと訊かれる。私の答はいつも決まっている。一番最近に行ってきた山である。その山の印象がフレッシュだからである」とした上で、当落線上だった山々について「もしそこから帰ってきたばかりであったら、当然百名山に加えたに違いない。愛するものは選択に迷う」と書いている。

「今後再版の機会があったら、若干の山の差しかえをするつもりである」とも記しているが、結果的に百名山はそのまま定着した。

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