検証「大震災」 伝えなければならないこと

毎日新聞震災検証取材班「検証『大震災』 伝えなければならないこと」

昨年4月から毎日新聞に掲載されたもの。テーマごとに分けられ、震災の検証・記録としてはかなり充実しているが、回によって質にばらつきもある。書籍化に際して初期のものはもっと加筆修正しても良かったかもしれない。ただリアルタイムの検証記事として、貴重な記録でもある。

ダンス・ダンス・ダンス

村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」

3部作や他の作品は何度か読み返してきたが、この作品はずいぶん久しぶり。

後日譚という自由さからか、登場人物のキャラ作りも含めて、愉悦的とも感じられるほど饒舌な語り口。

これ以前の作品で描かれたぼんやりとした喪失感は、はっきりと死という形で周りにあふれ出す。同時にこれまでディスコミットメントを徹底し、表面的には無感動だった主人公は現実への執着と焦燥感を見せる。
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乙女の密告

赤染晶子「乙女の密告」

大学を舞台に「乙女」の社会を少女漫画よりもさらに戯画的に描き、「アンネの日記」に重ね合わせる。テンポが良く、漫画的な唐突さも新鮮だったが、単純なアイデンティティーの問題に収斂させてしまうのはアンネ・フランク論としては表層的に過ぎるのでは。巧いとは思うけど。

小澤征爾さんと、音楽について話をする

小澤征爾、村上春樹「小澤征爾さんと、音楽について話をする」

クラシックにはそれほど詳しくないし、小澤征爾指揮の演奏を聴き込んでいるわけでもない。それでも、このインタビューにはかなり引き込まれた。

カラヤンやバーンスタインとの思い出から、マーラーへのこだわり、サイトウ・キネンでの活動、若い世代への指導……。生涯をかけてひとつの事に打ち込んできた人から出る魅力が言葉の端々に。
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江戸の本屋さん ―近世文化史の側面

今田洋三「江戸の本屋さん ―近世文化史の側面」

京都から始まった日本の出版産業。出版点数を見ると18世紀後半、天明から寛政にかけて一気に上方から江戸へと中心を移したことが分かる。ただ江戸期の書商はいずれも明治になると姿を消した。

文化の変遷は出版から見ると質、量とも非常に分かりやすい。紙メディアとともに出版業そのものが岐路に立つ今、改めてその文化的な役割を考えさせられる一冊。
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民俗のふるさと

宮本常一「民俗のふるさと」

日本列島のマチやムラ、人々の慣習がどう成り立ってきたのか。昭和39年、日本の人口が大きく流動し始め、都市住民の多くがまだ郷里を持っている時代に書かれた「ふるさと論」。民俗学の枠を超え、そのエネルギーを見つめ続けた世間師、宮本常一らしい社会・民衆史。

「…それが時にはわれわれの生活文化を停滞させることもあるが、誰に命令されなくても自分の生活を守り、発展させるためのエネルギーにもなる。ほんとの生産的なエネルギーというものは命令されて出て来るものではない」

アフターダーク

村上春樹「アフターダーク」

再読。以前読んだときは「私たち」という観察者の視点が風変わりな、三人称作品の習作という印象が強かったけど、改めて読んでみると、細部も含めて不思議な魅力に満ちた作品だと感じた。

これ以前の長編は全てナルシシズム全開(それが魅力)の一人称自分語りだったけど、この作品は前半、観察者視点を徹底していて内面の描写が一切ない。ただ後半になるにつれて普通の三人称小説と変わらない表現が増えてくる。これは狙ってやっているのか、それとも無意識に文体が揺らいでいるのか。

笛吹川

深沢七郎「笛吹川」

戦国時代の甲州、笛吹川沿いに生きた農民一家の物語。

生きて死ぬ人の営みを淡々と形容詞や比喩をほとんど用いない文体で綴る。主人公がいない。理由もなく、予想外のタイミングで人が死ぬ。それどころか登場人物の行動の理由がそもそも説明されない。希望も無いし、そこには絶望すら無い。

視点が俯瞰的な語り手から各人物へ、自在というより、唐突に動く文体がドライさに拍車をかけている。話自体も人間の描写も非現実的なようで、近代小説の定型を崩していると言う点では徹底してリアリズムということもできる気がする。