表題作は新潮新人賞を受賞した著者のデビュー作。ただ、単行本化、文庫化にあたって大幅に改稿されているようで、もとの作品がどうだったかは分からない。
自分を変だと思っていない変わり者の、なんでもない日常を綴ったような内容だが、ところどころにかすかな矛盾や混乱がある。
エピグラフに野口悠紀雄『「超」整理法』から「必要なことは、日付を絶対忘れずに記入しておくことだ」の一文が引用されていて面食らう。記憶を扱った作品と言えるかもしれない。記憶をそのまま文章化することはできない。物語に作り替えることをためらうならば、ちぐはぐでとりとめのない断片として並べるしかない。
改稿を重ねる著者の姿勢は、小説というものが確固たる存在ではなく、作者にとっても揺らぎ続けるもの、その揺らぎにこそ作品の核があるということを示しているようだ。解釈が難しい作品は少なくないが、そうした作品は大抵どこか解釈してみなよという挑発的な姿勢が感じられたり、あるいは解釈を強く拒否するような自意識が見え隠れしたりするものだが、この作品はもっと無造作に読者の前に投げ出されている。
併録の「クレーターのほとり」は表題作に比べて、日常から神話、人類史へとスケールが大きく広がる。つかみは多いが、こちらもとらえどころはない。