代表作の「苦海浄土」は言うまでも無く、「椿の海の記」や「十六夜橋」、自伝の「葭の渚」まで、石牟礼道子は常に“近代”を問うてきた。夏目漱石から村上春樹、カズオ・イシグロに至るまで、いずれの作家も“近代”や“現代”と人間との関係を描いてきたと言えるが、石牟礼道子ほど正面から対峙した作家はいない。
石牟礼道子は渚に住んだ人だ。海と陸の、夢と現の、近代以前と以後との。1927年に天草に生まれ、一家で水俣に移り住んだ。祖父の吉田松太郎は「山を道に食わせた」と言われた事業道楽で、精神を病んだ祖母「おもかさま」との関係が道子の原点となった。お互いに世話をし合い、祖母と孫娘が精神的に一体化したような幼年時代は多くの作品に描かれている。
神童と呼ばれた少女は、常に現実の社会と自分の間に違和感を抱えていた。「つづり方」の授業で文字で世界が表現できることを知り、やがて「結婚」や「家」、自身が持つ「女性」という性別の問題に直面して文学の世界に入っていく。思いをひたすら文章にし、それが渡辺京二や上野英信らとの奇跡的な出会いを経て世に出ることになった。
やがて彼女は「奇病」と出会う。患者の側に立ち、患者と精神的に一体化して「海と空のあいだに」(苦海浄土)を書き上げた石牟礼道子にとって、水俣病闘争のただ中に入っていくことは当然だった。「もだえ神」や巫女と称されることもある道子にとって、その生涯と作品世界は切っても切り離せない。
著者は石牟礼道子がいかに生きてきたか、家族や関係者に丁寧に聞き取りをしつつ、それ以上に道子自身の語る言葉に耳を傾ける。著者とともに石牟礼道子という巨大な存在が語る浄瑠璃に耳を澄ませているような趣がある。