“conversation piece”。家族の肖像。
築50年の一軒家で妻、友人、猫たちと暮らす作家の日常が綴られる。庭や猫を眺めて、とりとめのない話をし、時々ベイスターズの試合を見に出かける。どこかに行き着くことのない思考と会話の豊饒さ。
主人公は家ということもできるだろうが、むしろ、そこにたゆたう“時”そのものを小説を通じて描こうとしている。
ふとした時に、その家で過ごした幼い頃の記憶が蘇る。過去は既に無いものではなく、常にあるもので、記憶と時間は絡み合って重層的な今という瞬間を形成している。
とらえどころのない話、という言葉は大抵否定的に使われるが、小説において、とらえどころのなさはむしろ豊かさ。簡単に捉えられる話なら、それは小説という形式をとる必要はないし、小説という時間のかかる形式で読む必要も無い。