断片的なものの社会学

岸政彦「断片的なものの社会学」

読書の喜びは、知らないことを知ることと、それ以上に、自分が感じていること――悲しみや苦しみも含めて――を他の誰かも感じていると知ることの救いの中にある。同じ考えでなくてもいい。自分以外の人も、自分と同じようにいろいろなことを感じ、考えている。それに気付くことが読書の最大の価値だと思う。

著者はライフヒストリーの聞き取りを重ねてきた社会学者。といってもここに書かれているのは、分析や仮説ではない。路上から水商売まで、さまざまな人生の断片との出会いの中で、著者自身が戸惑い、考えたことが柔らかな文体で綴られている。

著者が意識的か無意識的にか分からないが、繰り返し使うのが「(私には)わからない」という言葉だ。

幸せを語ることは時に他者への抑圧になってしまう。では幸せを語らないことが正解なのか。

カルトや性労働における「本人が良いなら」という意見にどう向き合うか。

善意は暴力と紙一重だ。ならば我々は沈黙し、他者の領域を侵さないことにだけ努めれば良いのだろうか。

人は生きていく上で、どうすればいいかわからない、さまざまな場面に出会う。いくら本を読んでも、いくら勉強しても、いくら取材を重ねても、いまだに自分がどういう立場を取ればいいかわからないことが山ほどあるし、次から次へと出てくる。そのわからなさにこそ、共感し、立ち止まることが、今の社会には必要なのではないか。

読み始めた当初は、まとまりもないし、歯切れも悪いし、なんだかポエティックな文章だし……と、戸惑いもあったが、やがて、そのまとまりのなさが、まさに自分自身が抱える思考や感覚と重なっていることに気が付いた。わからないことを「わからない」と口に出す。そして立ち止まって、ゆっくり考える。そうすれば、結論は出なくても、この不寛容な社会はもう少し生きやすくなるのでは。

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